【プレイバック'14】〝世紀の骨肉親子バトル〟と呼ばれ…大塚家具・2代目長女社長の解任劇
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は10年前の’14年8月15日号掲載の「大塚家具46歳美人社長を父親が解任 骨肉のお家騒動」をお届けする。 【おねがい社長】すごい…大胆なスカートで自ら店頭営業に立つ大塚久美子社長 ’14年7月23日、家具小売り大手の大塚家具でお家騒動が勃発した。2代目社長の大塚久美子氏(46・当時)が取締役会で解任され、創業者で実父である大塚勝久会長が社長に返り咲いたのだ。記事ではその背景について解説している(以下《 》内の記述は過去記事より引用)。 ◆父の経営方針を娘が否定した? 突然の解任劇の背景にはやはり親子の確執があったようだ。 《「経営環境の変化を鑑み、機動的な経営判断を行うことを目的とした交代」と発表されているが実際は「父娘で経営方針が対立したと見られる」(経済部記者)という。 たしかにここ数年、大塚家具の業績は振るわない。久美子氏の就任前年、約668億円あった売上高は、’13年には約562億円まで下がった。とくに今年は消費増税後の店舗売上高が激減。ニトリやIKEAなど低価格の家具に押されている。 「久美子さんはウェブとリアル店舗を連携させたり、ショールームの受付を目立たなくして〝敷居の高さ〟を取り払おうとしたり、努力を続けましたが効果は薄かった」(前出・記者)》 大塚家具といえば、会員顧客にマンツーマンで接客する「会員制」を導入。「高級品から売れていく」を信念にデフレ期にも中高級路線を維持し、’09年に久美子氏が社長に就任するまでそれは続いていた。そんな娘の路線変更に父親の「超ワンマン」の血が騒ぎだしてしまったのだろうか。 そもそも実家が埼玉県春日部市で桐ダンスの製造・販売業をしていた勝久氏は25歳で独立して㈱大塚家具センター(のちの大塚家具)を設立。当時の家具店では珍しかった積極的な営業スタイルで、1年で「春日部一の売り上げ」を達成し、店舗を拡大していった。「社員と一緒になって、楽しく仕事をすること」が信条の、古き良きワンマン経営者。一時は人に店の経営を任せたこともあったが、バブル期に失敗してからは、どんな小さなことでも自分で決める傾向が強まったという。それでも会社は順調に業績を伸ばし、’00年代には売上を700億円まで伸ばした。 ’09年、そんな偉大な創業社長の後継者に選ばれたのが当時41歳だった長女の久美子氏だった。一橋大学経済学部卒業後、旧富士銀行(現・みずほ銀行)を経て1994年に入社。経理、総合企画の部長職を歴任してきた。社長就任後は低迷していた業績を回復するために新たな営業方針を打ち出していたのだが、突然の解任となってしまったのだった。 だが、今回の解任劇の少し前には奇妙な事態が起きていたと、前出の記者は語る。 《「昨年10月、大塚家具の資産管理会社で、久美子氏の妹・舞子氏が社長を務める『ききょう企画』が保有する9.75%の株を担保として久美子氏に供し、久美子氏の影響力が強まった。その後、今年3月の株主総会で、ほかの取締役がほぼ100%で選任されたなか、勝久氏の選任のときだけ多数の棄権が出た。選任を棄権した株式数と、ききょう企画の株式数がピッタリ同じだったんです。勝久氏と、久美子、舞子姉妹の間で何があったのか」 久美子氏は本誌の直撃取材に対して、「それ(父娘のトラブル)は荒唐無稽です。発表の通りです」とうつむき、言葉少なだった。 「久美子さんは『どんなに家具の目利きになっても父からはまだまだだと言われる』と話していた。勝久氏はいまだに個人で18%を握る大株主。今回の騒動の主役です」(前出・記者)》 まだこれは「公開親子喧嘩」とまで言われたお家騒動の発端でしかなかった。’14年12月期の業績が4年ぶりの営業赤字に転落したことを受けて’15年1月の取締役会で久美子氏は社長に復帰する。 すると勝久氏は自身を含む新たな取締役を選任する株主提案を提出。これに対して久美子氏の会社側はこの株主提案に反対することを決議し、久美子氏を中心とした新たな経営体制にすることを株主総会に会社提案として提出することを決める。ついに〝親子対決〟が株主総会に持ち込まれるという異例の事態となったのだった。 株主総会では久美子氏側の会社提案が61%の賛成票を集めて可決された。勝久氏は総会終了時に会長と取締役を任期満了により退任、大塚家具を去ることとなった。後に勝久氏は「匠大塚株式会社」を設立して再び家具小売業に復帰する。 株主総会で支持され、新たにスタートを切った久美子社長だったが、業績は回復する気配はなかった。騒動の影響に加えて勝久氏を支持していた従業員や取引先との関係が修復できなかったことが大きかったといわれている。’16年以降は赤字が常態化して身売りが囁かれるようになり、’19年にはヤマダホールディングスの傘下に入る。’22年にはヤマダデンキに吸収合併されて、現在「大塚家具」はヤマダが展開するブランドとして残るのみだ。久美子氏は’20年12月に社長を退任している。
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