FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
11月10日に行われたJ3リーグ第36節、FC今治は敵地でガイナーレ鳥取と対戦。リーグ得点王も獲得したマルクス・ヴィニシウスのハットトリックなど大量5得点&完封で勝利し、リーグ2位以上の自動昇格権を確定させ、J2昇格を決めた。今治は2020年にJ3入りし、2O年7位、21年11位、22年5位、23年4位と推移。迎えた24年、就任1年目でチームを悲願に導いた服部年宏監督が語る、FC今治の苦難と歓喜の軌跡とは。 (文・撮影=宇都宮徹壱)
服部年宏を引き付けた「プロミス」と「岡田メソッド」
「今ですか? ほっとしている、というのが本音ですね(笑)」 2節を残してJ3リーグの2位を確定させ、念願のJ2自動昇格を果たしたFC今治。今の心境について質問すると、服部年宏監督は表情をほころばせながら、こう続ける。 「クラブとしても、どうしても(J2に)上がらなければならないタイミングでした。今の体制になったとき、岡田さんが『10年後にはJ1で優勝争い』と言っていたじゃないですか。すでにその目標から遅れているし、フットボール以外にもいろんなプロジェクトが動いている中で『今年こそは』という思いは強かったです」 服部は1973年生まれの51歳。現役時代はジュビロ磐田の黄金時代を支え、日本代表として2回のFIFAワールドカップに出場したことでも知られる。4つのJクラブをわたり歩いて、40歳で現役を引退。以後は指導者に転じ、磐田のヘッドコーチ(一時、代行監督)、福島ユナイテッドFCの監督を経て、今季から今治の指揮官に迎えられることとなった。 服部の言葉にもあるように、元日本代表監督の岡田武史がクラブオーナーになったのが、今から10年前の2014年のことである。当時のカテゴリーは5部に相当する四国リーグ。結局、地域リーグに2年、JFLに3年、そしてJ3で5年を過ごすこととなった。Jクラブとなって、5人目の監督として迎えられたのが服部であり、就任1年目でJ2昇格の快挙を成し遂げた。 そんな服部だが、福島では監督就任2年目の途中で成績不振により解任。早期での現場復帰を模索していた昨年の晩秋、岡田から今治の監督就任のオファーを受けた。この時のオファー、いかにも今治らしい(あるいは岡田らしい)ものであった。 「一言『来季、やってくれ』と。特に細かい話はなかったけれど、岡田さん直々のオファーでしたから、やっぱり重みは感じられましたね。そうだ、『プロミス』のことは言われました。今治には独自の『プロミス』があるので、それをちゃんとやってくれと」 ここでいう「プロミス」とは、クラブを運営する株式会社今治.夢スポーツの全社員に配布される冊子に記されたものであり、「情熱」「ハッピー」「チャレンジ」「自立」などの項目がある。そのうち「情熱」については《新しいクラブの歴史を創るという情熱を持ち続けます。》とあり、服部は「新しいクラブの歴史を創る」の一文に、強く惹かれるものを感じたという。 岡田武史の思想や哲学が、色濃く反映されているのがFC今治というクラブ。外からやって来た指導者は、まずクラブ特有の文化を受け入れ、自分なりに消化して表現することが求められる。「プロミス」がまさに典型例だが、もう一つ、現場の人間が必ず直面するものがある。そう、今治のサッカーの根幹をなす「岡田メソッド」だ。