OpenAI創業メンバーとブルネロ・クチネリがAIに託した「哲人思考」
AIが想像したブッダの言葉
〈ネット時代の人文主義的職人〉 ルネサンス期に職人技術と学問が密接に結びついていたように、技術と創造性は人間らしさや倫理に基づいていないと、社会で有益なものにならない。 つまり、製品の質は上がらないし、世に広まらない、というのだ。 彼らは人間とAIの役割を次のように分けたという。 ・人間/意図する、アイデアを生む、決定する。 ・AI/検証する、提案する、実行・修正する。 一方のホフマンはChatGPTを公表した後、古今東西の哲学者を、AIでよみがえらせていた。 ■AIが想像したブッダの言葉 2023年、ホフマンは新著を発表した。共著者はGPT-4。人間とAIの合作の著書であり、タイトルは『ChatGPTと語る未来』(日経BP)だ。本のなかで彼は「ありえたかもしれない対話」を行っている。古今東西の哲学者やノーベル賞作家のカズオ・イシグロ、メディア学者のマクルーハンからハイエク、さかのぼって中国の白隠や道元、ガリレオやアラン・チューリングらをGPT-4でよみがえらせるユニークな試みである。 一貫して彼がテーマにするのが「公共性」だ。彼は社会に向けてAIへの公共の関与とメディアと世論の役割こそが、正しい進化に導くとして提言し続けている。クチネリが倫理の重要性を説くように、哲学の公共的役割を問うているのだ。 また、彼は自身を「ホモ・テクネ(技術を生み出し、使える人間)」と呼び、ホモ・テクネに必要なのは、決断力と人間らしさと言う。彼の著書にある、GPT-4が想像したブッダの言葉を引用しておこう。 「人工知能は私たちから切り離された存在ではなく、私たち自身の心を映し出すものである。優れた手段と倫理観をもって人工知能を育てることで、私たちはみずからの悟りを促し、すべての生命に恩恵をもたらせる」 ■ページもメニューもないサイト 「先週、時計の電池交換をするため、eコマースで乾電池を買ったんですよ」と、前出のボッティリエロが言う。「そしたらPCの画面に毎日、〈電池を買いませんか〉と案内がくる。パーソナライズ化の嫌な面です。これはユーザーの過去の体験をベースにしているからそうなってしまうのです。リアルな店舗であれば、店員がそんな売り方はしないはずです」。このアルゴリズムのあり方に、ブルネロ・クチネリもホフマンも疑問を投げかけている。 そこでAIプロジェクトチームは、ユーザーの過去の経験に基づくデータではなく、インタラクションのなかで起こったことから学習できるテクノロジーを備えたサイトを作成した。新たなサイトは、「ページとメニューの概念を放棄し、訪問者の前で自由に流れ、組み合わさるコンテンツを収容」と同社は説明する。ページがなく、メニューもない。サイトにはソロメオ村のイラストが描かれている。これをソロメオ村の名前にちなみ、「Solomei AI」と名づけた。 古代の賢人たちの思想と現代を結びつけるものづくりの世界観。哲学者たちの言葉に満ちたその世界に入ると、2000年を超える人類史の長い時間軸で思考するようになる。 長年同社をウォッチしてきた安西洋之の見方を紹介しよう。以下は、安西の執筆である。