<聖光・春に駆ける>’22センバツへの軌跡 斎藤監督、空白の2年半語る 敗戦バネに飛躍を /福島
◇名将の言葉胸に、選手と向き合う 18日に開幕する第94回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高校野球連盟主催)。甲子園の常連校として知られる聖光学院は、2年半ぶりに聖地に入る。2019年夏まで全国高校野球選手権大会に戦後最長の13大会連続出場を果たした後、センバツを含め、大舞台から遠ざかっていた。斎藤智也監督(58)は、この間、何を思っていたのか。【玉城達郎】 1本の電話があったのは、昨夏の福島大会準々決勝で敗退した次の日のことだった。 「長年やっていればいろいろある。良い思いばかりはできないよ。野球の指導者をやっているから負けるんだ。やってなかったら負けはないから。一生懸命やったんでしょ? それでいいんだよ」 その声は、横浜高校元監督の渡辺元智さんだった。 斎藤監督は試合後、「なぜ負けたのか」と自問していた。史上最多タイの14大会連続出場を目指していた最中の敗戦。落ち込む斎藤監督に渡辺さんは語りかけた。 渡辺さんは誰よりも斎藤監督の心情を理解していた。松坂大輔さん(元西武など)らがいた1998年の春、夏、明治神宮大会、国体で優勝し4冠を達成した。公式戦44連勝を記録したが、翌年はセンバツの初戦で負けるなど苦杯をなめた。 斎藤監督は「勝っている人ほど負けを受け止める時の度量が大きくないといけない。それを分かっている渡辺さんから連絡が来たのはうれしかった」と振り返る。 斎藤監督は名将の言葉を胸に新チームに向き合った。 新チームは昨年の秋季県大会と東北大会で、薄氷を踏む試合を続けたが、一戦ごとに力をつけた。制球力のあるエースの佐山未来(3年)を中心に試合を組み立て、犠打飛や盗塁など小技も駆使し、春切符を手に入れた。「不安材料はたくさんあったが、野球にかける謙虚で、ひたむきな姿勢がセンバツ出場につながった」と斎藤監督は振り返る。 3月1日の卒業式の後に開かれた3年生を送る会で、斎藤監督は前主将の坂本寅泰さんが率いた前チームの58期野球部員を「最高のチームだった」とたたえた。渡辺さんの教えを踏まえ、涙ぐみながら付け加えた。 「こんな良いチームでも負ける。勝負事だから冷静に考えたら当たり前だ。ここまで勝ち続けることが異常事態だった。この代で負け、『1回沈んだら、もっと強いバネにして、さらに高く飛ぶということを勉強しないと駄目だぞ』ということをすごく教わった」 15日、大阪に滞在する指揮官は晴れやかな顔をしていた。「関西勢と練習試合をすると、毎年こちらに来ていたことを思い出す。感慨はひとしおだ」 聖光学院は大会第2日第3試合で二松学舎大付(東京)と戦う。