【バレー】東亜学園高が春高のセンターコートに帰ってくる。ミラクルか、それとも? 鎮西高撃破の準々決勝で見せた確かな力
準々決勝は各セット終盤で壮絶な競り合いを演じながら結果としてストレート勝ち
バレーボールの「春高」こと「第77回全日本高等学校選手権大会」は 11日(土)から準決勝に突入し、会場は一面だけのコートが張られた、いわゆるセンターコート仕様になる。高校生の多くが憧れを抱くその舞台、そこに立つチームの一つが男子の東亜学園高(東京)だ。 【春高男子トーナメント表】 「春高」「センターコート」そして「ミラクル」。 その3つの単語がそろうと浮かび上がってくるのは、真紅のユニフォーム。やはり東亜学園高には、春高の舞台で会場中の視線を浴びながらつかみとる、「奇跡的だ」と言いたくなるような勝ち方が似合う。1月7日の準々決勝を見て、そう思いを馳せた人もいるはずだ。 鎮西高(熊本)を相手に、第1セットは24-25からの3連続得点で逆転に成功して先取すると、続く第2セットは序盤で最大5点ビハインドとなるも終盤に追いついてみせる。24-22と先にマッチポイントに到達したが、高い決定力を発揮した鎮西高の2枚エースに得点を許しジュースへ。25-26と一度は逆転されるも、最終的に30-28で競り合いを制して、見事に準決勝進出を果たしたのである。 勝利に歓喜し、中には涙を流す部員の姿も。東亜学園高の佐藤俊博監督は目尻を下げた。 「集中力がありましたね。以前だったら少しミスが続いたり、相手にどうしようもないほど強いスパイクをかちこまれると、意気消沈するケースが見られたんです。ですが、今回はしっかりとレシーブを返して、相手と駆け引きをして、勝負を楽しんでいる印象でした。試合が終わって選手たちも『楽しかった!!』と口にしていましたしね。パスが返れば、全国の強豪を相手にしてもある程度は勝負できると踏んでいました。それができたので“花丸”です」
「今日はミラクル東亜を出せたと思いました」と現役部員たちの声
東京の名門として高校バレー史にその名を刻んできた東亜学園高が、かつて代名詞に「ミラクル東亜」を授かったのが、この春高の舞台だった。1983年、当時は3月に開催されていた「春の高校バレー」こと全国高等学校選抜優勝大会の第14回大会で初優勝を飾る。その勝ちぶりがあまりにも奇跡的だったことから、そう評されるようになった。 とはいえ、現役部員たちが当時を知るはずもなく、セッターの和田太一は「自分たちはそれほど意識していないのですが、いろんな方々から言われて、『あ、ミラクル東亜なんだ』と思います」と素直に告白する。ただ、その単語とDNAは彼らにも刻まれていた。開智高(和歌山)との3回戦で逆転勝利を、準々決勝で劇的な勝ち方を見せた7日のダブルヘッダーを終えて、和田はこう表現した。 「今日はミラクル東亜を出せた、と。開智戦は自分たちの力を発揮できたと感じていますが、鎮西に勝ってセンターコートに行った、それはミラクルだと思います」 母校で指揮を執る佐藤監督もまた、準々決勝後に取材陣から「令和でもミラクルを?」と投げかけられると、「ミラクルですよねぇ」と開口一番。続けて「今日できましたから…、次はもう(ミラクルでなくても)いいんですけどね」と冗談まじりにほほえんだ。