予選落ちで「良かったじゃん!」 両親の教えと恩師との出会い/“たたき上げエリート”大西魁斗の歩み<前編>
コロナ禍をチャンスに変えた 特訓の半年間
当時の大西について、内藤氏は「いろいろ崩れている状態だったので、すべて作り直す感じだった」と振り返る。悩みをぶつける相手を見つけた矢先、新型コロナウイルスのパンデミックで状況が一変した。 「大学の試合もできなくて日本に帰って来た。その頃は内藤さんのお仕事もコロナで滞っていたので、大学3年(21年)の3月頃から半年くらい、スイングをやり直す特訓が始まりました。就職はしたくない、じゃあゴルフを諦めないためにこれから何をするかといったら、この不調をどう切り抜けるか。一から直して、それでダメならしょうがない。そう思って、直してもらうことに決めました」と大西が振り返った。 オンラインで大学の授業を受けつつ、内藤コーチとスイング改造に取り組み21年にプロ転向。同年は国内ツアーと下部ABEMAツアーに参戦した。 「もしゴルフがダメでも、勉強はちゃんとやっていたから人生やり直しは効く!」 くすぶる時期も、学生時代の積み重ねが心の支えになった。がむしゃらにゴルフに打ち込む日々が実を結ぶまで、そう時間はかからなかった。 シーズン統合の20-21年ABEMAツアー賞金ランク15位の資格で、22年の国内ツアー前半戦に出場。9月「フジサンケイクラシック」でパク・サンヒョン(韓国)とのプレーオフを制してプロ初優勝をあげた。 「ゴルフ一筋でやったほうがうまく行くパターンもある。でも、スポーツで成功するには運や出会い、悪い時にどんな人に会えるかのタイミングも大きいと思う。ボクにとっては丸山プロや内藤さんとの出会いがそうで人生を変えた。内藤さんはコーチですけど友達に近い存在で、シーズン中はほぼ毎日電話で話す。丸山さんもメッセージのやり取りをさせて頂いて重みがある言葉をくれる。いまの自分を作って頂いていると感じています」 初優勝と同年、米ツアー出場をかけた最終予選会で12位に入って主戦場を米国へ。ここからまた“修行”の日々が始まった。 <後編へ>