課題山積の原発再稼働 スローガンだけでは進まない 首都圏の電気はどこでつくられているのか?
「エネルギーの街」から首都圏の人々に伝えたいこと
柏崎市、刈羽村はかつて、原発建設をめぐり賛成派・反対派の間で激しい対立があった。その最前線で指揮したのが当時の小林治助柏崎市長であった。小林市長は1号機の運転開始を見届けることなく退任して約3カ月後、逝去された。まさに「命がけ」でこの難事業に取り組んだのだ。こうした経緯も踏まえ、柏崎商工会議所西川正男会頭はこう語る。「柏崎市の経済が停滞しているから原発を再稼働したいという話ではありません。首都圏の電力供給を支えること、それはすなわち、日本経済の背骨を支えることでもあるのです。それこそが、『エネルギーの街』として責務を全うしてきた柏崎市の自負でもあり、誇りなのです」。 取材班が柏崎市滞在中の7月4日付『新潟日報』の社会面には、「大消費地東京 議論乏しく」という記事があった。東京都知事選における原発再稼働の言及が少なく、大きな争点になっていないことを指摘していた。前出の三井田氏は言う。 「私たちも、宮城県にある女川原発の電力の消費者にあたりますが、彼らの力になれている実感はありません。ですから、電力の消費地である首都圏に何かをしてほしいとまでは言いません。それでも、私たち地元の人々の葛藤や苦悩に対する『理解』だけはしてほしいのです」 電気があるのが当たり前の時代。だからこそ、この言葉に込められた意味をわれわれは真剣に受け止める必要がある。
大城慶吾,仲上龍馬