課題山積の原発再稼働 スローガンだけでは進まない 首都圏の電気はどこでつくられているのか?
会では、(1)原発の是非は問わない、(2)他者の発言は否定しない、(3)最終的な結論は出さない、という3点が運営上の柱として定められている。 同会メンバーの一人で、柏崎エネルギーフォーラム副会長も務める三井田達毅氏は「同じ住民という立場だからこそ、建設的な議論を促すことができる」と話す。議論の質を高めることももちろん大切だが、こうした議論できる「場」こそが重要なのだ。三井田氏はこう続ける。 「当然、再稼働の議論は是々非々で進めるべきですが、日本が抱える『リスク』は原発だけではありません。山の斜面に設置したメガソーラーもそうですし、広く捉えれば米軍基地も同じです。ただし、さまざまな恩恵を享受し、日本に居住している以上、それぞれの地域や国民が一定程度の責任を果たす必要があるはずです。リスクなしに、都合良く国が存続するということはないはずです」
安全協定はこう見直せるだが課題はそれで終わらない
原発再稼働にはメリットがある一方で、当然リスクも伴う。では、その原発の安全性、再稼働の是非を最終的に握っている主体はいったい誰になるのか。 電力会社は立地自治体と「安全協定」を結んでいる。安全協定に法的拘束力はないが、自治体には周辺住民の安全を確保する責務があるため、再稼働には事実上、自治体(首長)の判断が不可欠になっている。 特に、1F事故以降、規制委は「安全」とは明言せずに「新規制基準への適合性のみを審査する」とし、政府としても「規制委が良いと認めたものを順次再稼働する」というスタンスだ。つまり、実質的な最終判断は「安全協定」を結んでいる自治体の首長によるところが大きい。 関西大学社会安全学部の菅原慎悦准教授は「最終的に知事などが判断せざるを得ない目下の状況は、リスクマネジメントとして健全とは言い難い側面がある」と指摘する。 主要メディアでは一切報じられていないが、今年5月22日、「全国原子力発電所所在市町村協議会」の総会で注目すべき出来事があった。柏崎市の櫻井雅浩市長が次のような事前質問を提出したからだ。 「地元合意、事前了解なるシステムは法治国家としてはおかしい。私たち原発立地自治体は慣例的にそのシステムを使い、様々な要求を行い、実現してきたが(中略)行き過ぎているのではないだろうか、前時代的ではなかろうか」 菅原准教授は「柏崎市長がこうした発言をするのは、協議会の歴史上、初めてのことではないでしょうか。従来慣行を見直し、安全協定のあり方を再定義するきっかけになるかもしれない」と言い、こう続ける。 「原子力安全とは、国際的にも一義的には電力会社が責任を負っています。しかし、福島第一原発のような事故が発生した場合、住民避難用バスの手配や病床・医療従事者の確保など、行政の協力なくして成り立たない側面もある。両者をつなぎ、『ともにリスクを管理・低減していく』という双方の〝確認の書類〟として安全協定は用いられるべきものであり、再稼働の是非に焦点が当たりすぎている現状は変える必要があるといえるのではないでしょうか」 電力会社と地元との関係強化に加えて、国が「前面に立つ」ことも必要だ。そもそも、1F事故後、迷走する日本のエネルギー政策の背景には、原子力のあり方について国の態度が煮え切らず、八方塞がりになっていることも大きい。 果たして、日本という国、あるいは電力会社は本気で原発を動かす「覚悟」と「能力」を持っているのか、持っているなら、それらをどう使っていくのか─。これらのロードマップが明確に示されないことも、国民の原発に対する信頼感が醸成されにくい要因の一つであろう。