「仕事を舐めている」とミスした後輩を怒鳴る…勝手に決めつけ怒り狂う人たちの正体
一、二人の怒れる男:これからの時代はパワハラではなくロジハラ
もちろん人間は犬猫とは違う。 人間は何かしらの意図をもって行動している。その意図を正すためにもときには怒る必要があるという意見もありえる。 しかしよく考えてみるとこの世に絶対的な悪人は存在しない。ただ善の対象範囲が狭すぎたりこちらとは違ったりするだけだ。極悪非道の罪人も、社会に対して善をなさず「自分に対してしか善をなさない」から社会悪となるのである。 このように考えると、相手の善の範囲の狭さを見て義憤にかられて相手と紛争するよりも、相手の善の範囲を大きくしていくように働きかける方が成果は大きい。 怒りが湧いてくるときは、怒ろうとしている目的は何なのか再考してみるとよい。 ミスを繰り返す部下に対する怒りの目的が「安心して仕事を任せられる部下を育てたい」であれば、怒鳴るよりもマニュアルを作る方が有効かもしれない。友人への怒りの目的が「社会人としての責任感をもって欲しい」であれば、社会人としての責任とは何か、それを身につけないことで友人が失っているものは何かを丁寧に説明する方がよいかもしれない。 昨今はパワハラひとつで社会的地位/立場を失ってしまう時代である。 あらゆるハラスメントが社会的に許されなくなってきている昨今において、ハラスメントと通称されるものの中で一つだけ許されているものがある。それはロジカル・ハラスメントだ。ロジハラとは冷静に、柔和に、明快に、論理を使って相手を説得することだ(逃げ場がないほど執拗に相手を論理で追い詰めるとパワハラ/モラハラになるので注意)。 自分が怒りに震えそうになったとき、ハラスメントに手を染めそうになったときは、自分の身を守るためにもロジハラを使って論理的に相手の非を指摘するとよい。 ここまで見てきたように、憤怒もまた経営でできている。憤怒を経営できれば怨嗟の連鎖から抜け出すことができる。 そのため怒りの感情が湧いたときには、まずは(1)怒る(怒鳴る、取っ組み合いの喧嘩をするなど、怒りを表に出す)、(2)怒らないという二つの選択肢を頭の中に思い浮かべてみるといい。 次に、いまこの状況で自分が目指しているものは何か(=目的)を明確にする。さらに、その目的の実現のために(1)と(2)の選択肢がそれぞれどんな役割(3と4)を果たすか考える。この時点ですでに突発的な怒りの持続時間は過ぎているため、落ち着いて考えられるだろう。 たとえば目的は「気分がよく仕事ができる」だとする。すると怒ること(1)で「(3)自分が現状に対して怒っていることを理解してもらえる」といった役割が目的に対して期待できるかもしれない。一方で怒らないこと(2)には「(4)職場の雰囲気が壊れない」という役割を目的に対して期待できるかもしれない。 ここまでくればあと一歩だ。 自分にとっての究極の目的は「気分がよく仕事ができる」であり、(1)と(2)はそれぞれ(3)と(4)という役割や効果を目的に対して果たすことが期待されていた。しかもこれらの役割(3)と(4)はたしかに目的と整合的である。 そこで次に(1)と(2)は一切合切忘れてしまい、㈫と㈬だけに着目して目的を実現するための次の手を考える。 すると「論理とウィットに富んだ比喩を用いながら自分の気持ちを淡々と説明する」ことで(3)と(4)の役割・効果を両方活かしながら目的に近づけることに気が付くかもしれない。まるでこのエッセイである。 もちろんこれだけ考えてみても「いや、やはりいまは怒るべきだ」と思う場面もありうる。そのときはじめて思う存分に怒りを爆発させればいいのである。 ---------- 参考文献 安藤俊介『アンガーマネジメント入門』、朝日新聞出版、二〇一六年。 戸田久実『アンガーマネジメント』、日本経済新聞出版、二〇二〇年。 戸田久実『アサーティブ・コミュニケーション』、日本経済新聞出版、二〇二二年。 ---------- つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)