「仕事を舐めている」とミスした後輩を怒鳴る…勝手に決めつけ怒り狂う人たちの正体
百年の誤読:自分の勝手な想像が怒りに着火させる
ときには自分自身も怒りに我を忘れてしまう。 自己の怒りを経営する視点も必要だ。 実は我々が何かに憤慨するときは相手や出来事そのものに怒っているのではない。自分の中で膨らませた想像に対して怒っているのである。 たとえば次のような部下との待ち合わせ場面を考えてみよう。 とあるプロジェクトの協業先を訪問する前に、部下と相手先企業本社ビルの近くの喫茶店で軽く打ち合わせをする約束をしていたとする。しかし不運なことにトラブルで電車が止まってしまったので、こちらはタクシーを使って約束の喫茶店に向かっているとしよう。 念のため部下に対して社内チャットで「申し訳ない。電車が止まってしまって、タクシーで向かってる。ちょうどか、五分遅れくらいになるかもしれない」とメッセージを送っておいたとする。すると直後に部下から「もうおります。資料は準備済みですのでお任せいたします」と返信がきた。 この返事に対してあなたならばどう思うだろうか。優秀な部下だと思うだろうか。それとも失礼な奴だと思うだろうか。 これは実際にとある企業で起こった例を脚色したものである。 この上司は激怒した。なぜなら部下の「もうおります」を「(プロジェクトを)もう降ります」と誤解してしまったからだ。さらに「(私はプロジェクトから降りますが、お情けとして)資料は準備済みですので(後はあんた一人に)お任せいたします(できるもんならやってみな)」と言われていると理解してしまった。 連日の残業でこの上司も疲れていたのかもしれない。プロジェクトに対しての思い入れが強すぎたのか。プロジェクトが遅れていることに不安を抱いていたのかもしれない。 いずれにしても読解力が鈍っていて、これまで目をかけてきた部下がとんでもない無礼・非礼を働いてきたと思ってしまったのである。 もちろん部下の真意は「もう(待ち合わせ場所の喫茶店に待機して)おります。(打ち合わせで使う予定の)資料は準備済みですので(到着時間は)お任せいたします(ゆっくりで大丈夫です)」だった。 このように我々は、相手の考えを勝手に想像して、勝手に自分の常識と比べて、勝手に相手を非常識と決めつけ、勝手に怒り狂う。怒ることでさらなる怒りの原因を自分から作る。 たとえば仕事でミスをした後輩に対して「仕事を舐めている」と自己解釈して怒鳴る。後輩は怒鳴られたことで畏縮してしまい、何がダメなのか、何をすべきかについての論理を十分に理解できずに終わる。すると後輩は、ミスの本質を理解していないのだからまた同じようなミスを繰り返す羽目になる。 こちらは「あれだけ注意したのにまたミスするなんてやっぱり仕事を舐めている」と怒声を強める。まれに自分から人ごみに出かけておいて「なんでこんなに人が多いんだ」と叫んでいるおかしな人を街中で見かけるがこれと大差はない。 こうして毎回毎回あなたに怒鳴り散らされるようになると、その部下は精神の不調を訴え心療内科の診断書をもってハラスメント委員会のドアを叩くかもしれない。こうなってしまってはあなたにとっても相手にとっても悲劇である。 つまり自分の中の怒りは自分で作り上げている。 自分で怒りの火をつけて自分で燃料を投下して燃え続けているのだ。このことに気が付くと怒りに左右されづらくなる。そもそも我々は、犬に糞尿をかけられようと猫が恩知らずだろうと激怒したりはしない。同じ人間相手だとさまざまな想像をしてしまうだけなのである。