テニススカートをめぐる騒々しい歴史 いかにして短くなったのか、当初は足首も見えなかった
テニススカートはなぜ人気になったのか
1910年代に入っても女性はテニスコートで長い幅広のスカートと少なくとも肘まである袖がついたブラウスを着用していた。 しかしフランスのスター選手、スザンヌ・ランランは違った。彼女はテニス界におけるファッション革命の急先鋒となる。ふくらはぎの中ほどまでの丈しかないスカートという型破りなテニスウエアで1919年のウィンブルドンに出場、社会に衝撃を与えたのだった。 その後10年ほどの間、多くのプレーヤーがふくらはぎ丈やひざ丈のスカートを取り入れた。「テニスに向いているのは短いプリーツスカートだけです」と、米国人テニスプレーヤーのヘレン・ウィルスは1928年の著書『Tennis(テニス)』で述べている。 「クラシックなシンプルさがあり、動きやすく、見る人にとっても不快ではありません。動き回っている時でも優雅で美しく見えるのがプリーツスカートです」
ショートパンツにはデザイナーが反発
1930年代になると新たな流行が生まれる。例えば米国人テニスプレーヤー、ヘレン・ジェイコブスはショートパンツを好んだ。ショートパンツでプレーすれば、コートで「圧倒的に優位に立てる」と彼女はニューヨーク・タイムズ紙に説明している。「素早く動けるし、涼しいからです」 こうした動きにテッド・ティンリングといったデザイナーたちは反発した。自身もテニスプレーヤーだったティンリングは、女性プレーヤーのショートパンツやスラックス姿を「1930年後半の男勝りのいでたち」と酷評し、女性らしさを強調したテニスウエアのデザインを推し進めていった。 ティンリングのデザインの中には1940年代、大きな物議を醸したものもあった。それは1949年のウィンブルドンで米国のスター選手、グッシー・モーランが身に着けていたスカート、というよりもその下に履いていたものだった。彼女のスカートは短く、レースの下着がのぞいていたのだ。モーランは後日、「観客の目を奪ったのは私のテニスではなく、私のお尻でした」と嘆いている。 1940年代末になると、テニススカートの丈は膝をついた時、裾から地面まで約2.5センチが標準となる。そして「男勝り」のテニスウエアは「女性の体の線を強調したものに取って代わられた」と、歴史家のロバート・レイクは著書『A Social History of Tennis in Britain(英国におけるテニスの社会史)』の中で書いている。