【インタビュー】岡田優介が下した大きな決断…悩まない男が揺れた2カ月間を経て “キャリアの延長戦”へ
ストーブリーグが静まり返った7月22日、あるベテラン選手の去就が発表された。2024-25シーズン開幕時には40歳の誕生日を迎える岡田優介だ。プロバスケットボール選手にして公認会計士試験合格者、3人制バスケットボールチーム・TOKYO DIMEのオーナーと、様々な肩書を持つ岡田は前所属のアルティーリ千葉から契約満了が発表された約2カ月後、香川ファイブアローズとの契約締結が決まった。経験豊富な元日本代表シューターはどのような思いで今回のオフシーズンを過ごしたのか。その胸中に迫った。 インタビュー=酒井伸 写真=TOKYO DIME
◾️SNSの投稿をきっかけにオファーを獲得
ーー5月24日にA千葉との契約満了が発表されると、自身のXを通じて、オファーがないことを明かし、「選手としてプレー出来る可能性をあと1ヶ月だけ探し待ちたいです」などとつづりました。どのような思いであのような言葉をXに投稿したのか聞かせてください。 岡田 ただ待っていてもオファーは届かないと思っていました。日本のバスケットボール界は世代交代が進んでいて、年齢の高い選手に声を掛けるチームは少ないのかなと。あとは自分の場合、競技以外にも様々なことに取り組んでいるので、すでに次が決まっていると思われがちで、声をかけるのを憚れていた部分もあるのかなと。そういったことが実際にこれまでもありました。 ーー投稿には多くの反応がありました。 岡田 うれしかったですし、思った以上に反響がすごくて。いろいろな方面からポジティブな言葉をいただきました。バスケットボール関係以外の仲間からも「自分の分析ができている」や「ビジネスマンとして参考になる」など称賛の声もいただきました。 ーーA千葉では2年連続でB1昇格を逃しました。あの悔しさが現役続行の思いを強くさせたのでしょうか? 岡田 自分自身はチームのローテーションにあまり入れていませんでした。チームは残念な結果に終わってしまい、そこに自分がトライできず、コートに立つこともできなかった。そういった悔しさですね。自分だったらこう打開できるという場面が何度もありました。通用しないと感じたらやめ時だと思いますが、まだプレーできました。物足りなさというか、やり残した思いがあって、この気持ちのまま終わっていいのか、これが自分にとって最後のシーズンなのはどうなんだろうと。これまでのキャリアを考えて、本当に満足して終えたことになるのかと自問自答した時、全然そうではありませんでした。 ーーSNSでの発信後、チームからお話を受ける機会はありましたか? 岡田 あの投稿のおかげでオファーが届いたと思っています。ありがたいことに複数のチームから打診していただき、具体的なオファーを受けたチームもありました。あるチームはいろいろなことを判断し、難しいと思って断ってしまいました。一方で、チームで話した結果、オファーを出すのは難しいというケースもありました。ただ、複数のチームと話すことができたのは、あの発信に共感していただいたからだと思っています。 ーー6月5日にXへ投稿された「エージェントに関して、個人として正式には代理人契約を結んでおりません」という言葉には少し驚きました。 岡田 自分に代理人がいたら、その人にお願いして、各チームに聞いてもらうことはできます。知人の代理人に「今回はオファーが何もないからお願いします」と依頼する選択肢もありましたが、それは違うかなと。発信で自分のメッセージを伝えられると思いましたし、求められるチームでプレーしたかったんです。どこかのチームに「入れてください」と頼むより、お互いのニーズが合えばいいと思っていましたから。代理人も人間ですから、オファーがない時やキャリア終盤だけお願いされても、どうかなと思うはずです。 ーー契約満了から所属先が決まるまでは、岡田選手にとってどのような期間でしたか? 岡田 いろいろと考えることができました。7月からは誰にも縛られず、組織としてのルールがあったわけでもないので、気楽ではありました。ただ、何も決まらない状態が続き、フワフワしていたというか、目標が定まらない。「やる」か「やらない」の大きな二択ですごく悩みました、珍しく……。僕は悩むことがあまりないので、なかなか難しかったです。モチベーションという面でも、この自主練習、この走り込みはもう意味がないんじゃないか、この時間を仕事に使ったほうがいいのかなと思うこともありました。やると決めたのは1週間前くらい(取材:7月24日)。そこからすぐ(22日に)リリースされました。 ーー所属チームが決まらない時は具体的にどのような1日を過ごしていましたか? 岡田 いつものオフシーズンとあまり変わらず、オーナーを務めるTOKYO DIMEで業務をしたり、3人制の練習に加わったり、自主練習をやったり。仕事をこなしつつ、子どもとの時間になったら、父親としていつもどおりの日々を過ごしていました ーーシーズン終了後、選手の所属先が次々と決まっていきました。焦りもあったと思います。 岡田 正直、焦りはなかったですね。話がくるのはほとんどのケースで契約満了発表後の1週間から2週間。6月下旬以降になかったら、新規の話はないと思っていたので。すでにコンタクトを取っていたチームとの交渉や調整という状況で、選択肢は絞られていた感じです。7月になってからオファーの可能性はほぼないので、もはや何もないほうが、諦めがついて悩まなくて済むなとも思っていました。最初の頃から比べると心境の変化があって、契約満了になった時は現役をどうしても続けたかったです。ただ、オファーを待つ約1カ月で「なんかもういいかな」と思う時期もありました。徐々に心が落ち着いて、冷静に考えられるようになったからかもしれません。「獲得したい」と言ってくれるチームがあったり、ファンの方たちがポジティブなメッセージを送ってくれたりして、よくやったなというか、これで何もないならしょうがないなと。実際にオファーをもらってからも、家族に迷惑を掛けてまで続けるべきなのか悩むこともありました。 ーーチームが決まらない時、家族の反応は? 岡田 妻からは「あなたが決めるんでしょ。別にどっちでもいいよ。大変だけどね」と。妻は彼女自身の意向で決めてほしくないタイプで、自分のキャリアを知っているからこそ「私の意見に左右されてほしくない。自分で決めて」と言ってくれて、そこは気を遣ってもらっていましたね。僕は一時的に単身になります。香川で良い子どもの受け入れ先があればと思い探しますが、それ次第です。最後は現役を続ける方向に傾いていたけど、それをどうやったらやれるのかをずっと考えていました。千葉に住む家族のことも考えて、金銭的にどうようにバランスを取っていくのか。正直に言えば、引退したほうが経済的には、生活は安定すると思います。自分の事業の拠点が都内にありますし、拠点としていた千葉でのつながりや会計士の仕事もありますから、仕事は山ほどあります。家族の大黒柱として生活の基盤を作らなければいけない責任もありますが、現実として二拠点生活ではお金がかかります。妻1人で子ども2人を見るのは大変なので、第三者にサポートをお願いする必要もあります。遠方が拠点になれば、自分の事業にも穴ができてしまいます。そういった計算をしたら大変な部分もあって。どのようにすればいいのかを考えていました ーー様々なことを考えた上での大きな決断だったんですね。 岡田 やるのか、やらないのかを天秤にかけてしまうと、どう考えてもやらない理由のほうが多くて。やらない理由を掲げる自分とやる理由を掲げる自分がいたら、圧倒的に前者が勝ちます。ただ、そういった理屈ではなく、プレーできる機会があるならプレーしたい。それだけです。プロバスケットボール選手はすごく特別な職業で、誰もがなれるわけではなく、いつか終わりがくるものです。必要としてくれるチームがあるなら、やってみようと。最後は押しきったような感覚ですね。千葉と香川を行き来するようなこともあると思いますけど、今後も父親の務めとして今まで通り家族を大切にしていきたいです ーー家族だけではなく、ファンの後押しも決め手になったと思います。 岡田 先日実施した交流会イベントにも多くの方が集まってくれて、ファンの皆さんはすごく温かいです。心から応援してくれていると感じます。ファンの皆さんの支えがあり、「プレーを見たい」と言ってくれるのも現役を続ける理由なのかなと。僕はキャリアが長く、「最後まで見届けます」と言ってくれる人もいます。ファンの方も僕と同じように年齢を重ねていて、3歳の時から応援してくれる子はもう成人です。人生に食い込んで、関わってくれて、応援してくれる。プロキャリアにのめり込んでくれているわけですから、それを自分に重ねて、応援してくれているファンの方も人生の一部だと思っています。「まだプレーを見たい」と言ってくれて、かつその場があるわけなので、続けるべきだと思いました。