がれきの上に立つ血だらけの母、大八車に山積みの遺体…「初めて、絵を描くことが苦しかった」 福岡の美術学生がヒロシマとナガサキに向き合って抱いた平和への願い
被爆体験を絵画にする試みには「先駆」がある。広島市立基町高の創造表現コースは2007年から、被爆者の証言に基づく「原爆の絵」を制作してきた。広島市の原爆資料館の依頼で始まり、これまで計207点、被爆者50人分の作品が完成。被爆者が資料館などで修学旅行生らに証言をする際に活用する他、国内外で展示してきた。 背中が赤く焼けただれた女性、腸のはみ出た遺体、皮膚が垂れ下がった負傷者の行列―。作品はどれも直視できないほどリアルだ。「当時の状況を伝えるのが原爆の絵の役割。あくまで伝承のための『ツール』です」。卒業生で、生徒をサポートする嘱託講師の福本弥生さんは強調する。 生徒は被爆者と面会やSNSなどで打ち合わせを繰り返し、遺品や写真なども参考にしながら、8~9カ月かけて絵を完成させる。苦しみと向き合う作業だが「生徒は『後世に残さなければ』という被爆者の使命感を感じ取り、一生懸命取り組んでいる」(福本さん)。 昨年度は個人から依頼されたものも含め新たに被爆者7人分の計19枚が完成。今年8月、広島国際会議場で開かれた展示会には新旧の約60点が並んだ。
絵のそばに設置された解説パネルには、被爆者と生徒双方の感想を記した。「ただ被害の実態を知るだけではなく、被爆者が次世代に何を伝えたいと願い、若者は被爆者から何を受け取ったのかを感じてほしい」との意図だ。 昨年度、初めて参加した2年生の木原結愛(ゆあ)さん(17)は、爆心地から約3・5キロで被爆した当時5歳の男性を担当。背後から原爆の閃光が走り、周囲が「黄色がかったオレンジ色」に染まったという証言をキャンバスに再現した。 広島県出身で、小中学校では当然のように原爆被害を学ぶ授業があったが、恐ろしさから苦手に感じていた。小学校の社会科見学で初めて原爆資料館を訪れた際は、前を歩く同級生のリュックに顔をうずめたことも。創造表現コースに進学したことをきっかけに、悲惨な歴史に向き合おうと決めた。 制作活動を通じ、これまで目を背けてきた原爆や戦争の問題について「自分の意見を考えるようになった」。なぜ、戦争はいけないのか。明確な答えはまだ模索中だ。「戦争は生活、命、家族を一瞬で失わせてしまう。だから起こしちゃいけない。これが今の私の考えです」
【関連記事】
- 【音声解説】「初めて、絵を描くことが苦しかった」美術学生、被爆者の体験を描いて抱いた平和への願い(共同通信Podcast)
- 「女性はトラックに積み込まれ、凍った死体が山積み」ソ連軍の襲撃、87歳男性が語る終わらない戦争
- 【写真】妊婦を連れた男性は、父に「僕たちを殺してください」と懇願した 「命を大事にしなさい」と諭したが… 11歳の少年が見た〝地獄〟
- 「父、戦死」の報に母と祖母は涙が枯れるまで泣いた… 遺族ら約100人が参列 戦争の悲惨さや平和の尊さ、後世に語り継ぐ思い新たに
- この奥には戦車があった… 幅が約4メートル、奥行きは約30メートル 奥の壁にはつるはしで削られた無数の痕跡 「物言わぬ戦争の証人」保存へ地元が動く