がれきの上に立つ血だらけの母、大八車に山積みの遺体…「初めて、絵を描くことが苦しかった」 福岡の美術学生がヒロシマとナガサキに向き合って抱いた平和への願い
投下直後の雲を描いてもらった松本さんは、制作途中の絵を小学校での証言活動で利用したところ、「きのこ雲は白いものだと思っていた」という感想が寄せられたと振り返り、「この絵が原爆の本当の恐ろしさを伝えてくれれば」と期待を述べた。 がれきに立つ母の絵を担当した浦川さんは、被爆者の高齢化が進む中、記録に残すという絵画の役割を再認識したという。「体験していないと話してはいけないと思っていたけれど、残せるものは言葉だけじゃない」。そして、こう願った。「来年以降も多くの学生が参加してほしい」 ▽学び続け、語り継ぐ―つながる思い お披露目会には「プロジェクト1期生」も同席した。その一人、池田菜々香さん(21)は「重いテーマだから不安だったけれど、引き継いでくれてうれしい」と目を細めた。 池田さんが挑んだ題材は、長崎で被爆した開勇(ひらき・いさむ)さん(86)が目撃した原爆さく裂の瞬間だった。「太陽と全く同じだった」という開さんの証言を基に、小さな黒い人影の上でまたたく巨大な青白い閃光を表現した。 池田さんはかつて軍需工場が集積し、原爆の投下目標の一つだった北九州市出身。曽祖父は太平洋戦争で戦死した。ルーツに関わる戦争について学びたいという強い思いから、実績のないプロジェクトに挑戦した。
「今回知ることができたのは当時の片鱗だと思う。これからも勉強し、平和な時代を続けていくために語り継いでいきたい」。昨年7月のお披露目会での宣言通り、今も戦争に関連した映画を見たり、本を読んだりしている。2月には初めて広島市を訪れ、街中に点在する慰霊碑や被爆遺構を巡った。来春には大学院に進み、美術の道をさらに究める。「自分の技術で人の役に立ちたい」。機会があれば、また原爆の絵を描くつもりだ。 開さんはこの1年、池田さんが「必死で描いてくれた」作品の画像を取り込んだスライド資料を使いながら福岡市内の小学校など約10カ所で証言をした。 「みなさんは太陽をじーっと見つめたことはありますか」。今年6月には、福岡市立壱岐丘中の3年生約100人に講話。「青白くぎらぎらと輝いて、太陽を1万倍にしたような光だった」などと脳裏に焼き付いた光景を語り、「核兵器がある限り平和は来ません」と訴えた。 話を聞いた吉田咲彩(さや)さん(15)は「絵があることで、身近でない原爆の被害をイメージしやすかった。戦争をしてもいいことは一つもない。そういう社会に近づかないでほしい」と話した。 ▽高校生が形にする、被爆者の使命感
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