東京タワーの3分の1は米軍戦車で出来ている。その理由とは?
1958年12月23日に完成してから66年を迎えた東京タワー。日本が誇るランドマークの知られざるトリビアをご紹介します。 【画像で見る】東京タワーの鉄骨になったとみられる米軍戦車
きゃりーぱみゅぱみゅのMVに登場する「東京タワーと戦車」
歌手・タレントとして活躍する「きゃりーぱみゅぱみゅ」さんの2011年のシングル『PONPONPON』のミュージックビデオ。キュートで不思議な世界観が特徴ですが、2分30秒くらいのシーンでなぜか東京タワーと戦車が登場します。 実は、このシーン。2011年当時、地上デジタル放送への完全移行で、アナログ放送が停波することへのオマージュでした。MVを手掛けた田向潤監督は、Webマガジン「white-screen.jp」に掲載されたインタビューで次のように語っていました。 「アナログ電波を送出していた東京タワーが登場したり。で、東京タワーって戦車で出来ているっていうじゃないですか。鉄が足りないから戦車を溶かして作ってっていうところのオマージュで、戦車が出てきたり」 えっ、東京タワーが戦車で出来ていたの! 筆者は当時、この『PONPONPON』のMVをきっかけに、そのことを知って衝撃を受けたのを覚えています。 今回、東京タワー完成66年を機に改めて資料を調べてみました。
東京タワーの知られざる出自が広まったきっかけは、解体業者の証言だった
確認できる範囲で「東京タワーの鉄骨の素材に戦車が使われている」という話が表に出たのは、1988年1月にNHKで放送された『俺は天下の解体屋』という番組からでした。 そこでは、都内の解体業を営む高野静雄さんが「朝鮮戦争で使われた米軍戦車が、その後日本に運ばれ解体されて東京タワーの鉄骨として使われた」という趣旨のことを述べていました。 この番組を見たジャーナリストの生方幸夫さんが、関係者に取材した結果が、1994年に『解体屋の戦後史』(PHP研究所)という単行本にまとまっています。
東京タワーに使われたのは、M4シャーマンとM47パットンという2種類の戦車だった
1950年、南北に分断された朝鮮半島で「朝鮮戦争」が勃発。アメリカが支援する大韓民国と、中国が支援する北朝鮮の間で激しい戦闘が繰り広げられました。 『解体屋の戦後史』によると1953年に休戦協定が結ばれたことで、朝鮮戦争で壊れた米軍の戦車が翌年ごろから大量に日本に運ばれてきたそうです。 米軍としては壊れた戦車をアメリカ本土に持ち帰って修理して使うより、新しい戦車を作った方が効率が良かった。そして、日本は朝鮮戦争の特需で「神武景気」に沸いていましたが、基幹産業である高炉会社はまだ十分に育っておらず、大量のスクラップが手に入る機会は貴重だった。 そんな風に著者の生方さんは分析しています。 米軍は当時、軍需物資を大量に日本の民間業者に払い下げており、その中に戦車も含まれていました。鉄のスクラップの買い付けをしていた尾関商店の尾関精孝さんは、約90両の米軍戦車を落札したと明かしました。重量は3千数百トンに上りました。 落札したのは「M4」シャーマンと「M47」パットンという2種類の戦車。尾関さんはすぐ近くで解体業を営む高野さんに、これらの戦車を解体を依頼しました。 高野さんは関東一円から助っ人の職人を呼んで、埼玉県所沢市内の米軍基地で戦車をガスバーナーで切断。高炉で溶かせるサイズに切り刻まれた戦車の鉄板は、東京製鉄の千住工場に運ばれて建築鋼材に生まれ変わったそうです。