「銀座に激安スーパーなんて」の前評判を覆した…銀座オーケーが「タワマン住人」以外に取り込んだ「意外な客層」
日本で最も地価の高い東京・銀座に激安スーパー「オーケー」が進出して1年が経過した。消費経済アナリストの渡辺広明さんは「当初は客層とのミスマッチを懸念する声も一部で上がっていたが、実際は売り上げも好調だ。銀座ならではの品ぞろえで富裕層以外の客層をがっちりつかんでいる」という――。 【写真】銀座オーケーで立地上「人がまばら」なコーナー ■かつて銀座は「金持ちの大人の街」だった 父親に連れられ銀座に初めて行ったのは筆者がまだ中学3年で15歳の1982年――バブル期前で、まさに日本の経済が勢いを増している時代だった。「銀座通りはニューヨークの5thアベニューに匹敵するんだ」と父は言っていた。 トレンドをいち早く取り入れる銀座は、当時大流行した人気映画のETの人形を抱え、指を光らせながら歩いてる人が闊歩していた。浜松から観光で訪れた筆者は「大人の街だ」とただただ圧倒された。 4年後に大学進学で上京した際に訪れた時も、バブル期の銀座は高級クラブのひしめく歓楽街がピークを極め、庶民が消費する場所ではなくなり、物見遊山で訪れる場所という威厳を保つ街に変化していた。 当時最も勢いのあった総合スーパーのダイエーが、日本経済の成長により豊かになる消費者に合わせて百貨店事業に参入し、その旗艦店として「プランタン銀座」をオープンしたのもその頃である。 ■「ユニクロ」「くら寿司」もある街にオーケーが出店 だが、バブル崩壊によってプランタン銀座の時代は終わり、跡地は読売新聞の子会社となった。後の平成デフレを経ながら新たにオープンした「マロニエゲート」に現在入居しているのが、「ユニクロ」「ダイソー」「くら寿司」などの大衆店である。かつて銀座に百貨店があった場所は、時代の変遷に合わせて、庶民を対象とした店舗運営に大きく舵を切った。 そして満を持して2023年10月にマロニエゲートの地下1階、2階にオープンしたのが、平成デフレの申し子であるスーパーマーケット「オーケー銀座店」だ。 オーケーは年間を通じて商品を一定の低価格で提供するEDLP(Everyday Low Price)という販売戦略をとっている。消費者に「いつでも安い」という安心感を与え、固定客を増やすことを目的とした食品スーパーである。食品スーパーに顧客が通う頻度は週に1、2回が約4割、週に3、4回が約3割と言われており、まさに日常の買い物をする場所となった。 そんなオーケー銀座店は2023年10月の開店から1年を経過して、売上の前年比が2割以上伸長するなど販売は好調のようだ。