生身の「揺らぎ」を撮る。石井裕也監督『本心』の映画的野心とは? 池松壮亮主演作を徹底考察&評価レビュー
死の概念すら変えてしまおうとしているAI技術
自ら死を選んだ母・秋子はシングルマザーとしてひとり息子を育ててきた女性である。決して裕福ではない。それでも幸せだった。少なくとも朔也にはそう見えていた。なのになぜ自ら死を選んだのか。最後に伝えたかった「大切な話」とは何だったのか。"自死遺族"として迷子になった朔也は「母の本心」を知りたい一心でテクノロジーの未知なる領域へと足を踏み入れる。 「本物以上のお母様を作れます」 生前のパーソナルデータをAIに集約させ、仮想空間上に"人間"を作る技術VF(ヴァーチャル・フィギュア)―――本作がわたしたちに問い掛けてくる、ふたつめの問題だ。 現実社会においても死者をAI技術で甦らせるビジネスは急速に広がっている。中国で普及が進む「故人AI」は早逝した子どもと親をテクノロジーの力で再会させたりもしている。 2019年年末、紅白歌合戦に出場した「AI美空ひばり」を記憶している人も多いだろう。彼女が新曲を披露したことは国内においてエンターテインメントの在り方を変える最初の一歩だった。 解散後も残された音源やライブ映像のおかげでわたしたちがビートルズに熱狂することができていた以上に、AI技術はアーティストを望まれる限り永遠に生き続ける不老不死の存在へと押し上げようとしている。それはいずれ死の概念すら変えてしまうかもしれない。 テクノロジーが喪失感を抱えた人々に救いをもたらす一方で、意義を唱える人々もいる。 引退したブルース・ウィルスがAIによって生成された自身のデジタルツインを映画や広告に出演させる権利を売却したことが話題になったが、ハリウッドではAIによる複製技術が自分たちの権利を侵害しているのではないかと危機感を募らせた俳優たちによるストライキも起きている。 本作が興味深いのはこのデジタルツインである「VF」を生身の俳優陣が演じていることだ。
俳優のメタファーとしての「リアルアバター」
冒頭で登場するVF中尾を演じているのは綾野剛。自殺した母の本心を知るために「母を作ってほしい」とVF開発者野崎(妻夫木聡)の元を訪れた朔也の前にサンプルとして登場するVFだ。彼がVFの「心」について朔也に語る場面は、俳優が「与えられた役柄という情報」を「自分の肉体を使って表現すること」について語っているようでもある。 余談だがChatGPTに「あなたの本心を教えて下さい」と問い掛けたらこんな答えが返ってきた。 「私はAIなので、本心や感情を持っていません。私の役割は、あなたの質問や依頼に応じて最善の情報を提供することです」 AIに心はない。あるのは「情報」とそれをアウトプットする「デバイス」だけだ。「故人AI」も「AI美空ひばり」もまた然り。しかしながらわたしたちはAIと対話を繰り返すうちにそこに「心」があるような錯覚に陥ってはいないだろうか。 AIの進出により工場の仕事を失った朔也が幼馴染みである岸谷(水上恒司)の紹介で始めた「リアルアバター」というアルバイト。これも身体の使い方は俳優のようでもある。俳優は原作者や脚本家、監督という他者に与えられた言葉や動きを自らの肉体を使って表現する。 リアルアバターとなった朔也がイヤフォン越しに聞こえる複数の依頼者の指示に右往左往させられる姿は演出方針が定まらない現場で俳優が困惑していようでもあるし、クライアントの若松(田中泯)が最期に見たかった海を彼のリアルアバターとして見た朔也の涙は俳優が役柄に感情移入しているようでもある。 そこには母の自由死を止められなかった朔也自身の無念さも垣間見える。だが、冷静に考えてみてほしい。それらの感情はすべて脚本に書かれた「情報」である。極端に言えば俳優は「デバイス」としてその情報をアウトプットしているに過ぎない。 にもかわらず、観客であるわたしたちはそこに架空の人物の「心」を感じ、感情を揺さぶられる。「憑依」ともいうべき霊的な表現行為。後に朔也がVFとなった母・秋子に「心」を感じ、自身の感情を揺さぶられてしまうことにも同じような霊的なものを感じてしまう。死者の魂がAIに宿っているのではないかという非科学的なことを。