生身の「揺らぎ」を撮る。石井裕也監督『本心』の映画的野心とは? 池松壮亮主演作を徹底考察&評価レビュー
平野啓一郎の同名小説を原作に、『月』(2023)、『愛にイナズマ』(2023)の石井裕也監督がメガホンをとった映画『本心』が全国の劇場で公開中だ。主演を務めるのは、池松壮亮。三吉彩花、水上恒司、仲野太賀ら豪華キャストが脇を固める本作の魅力に迫るレビューをお届けする。(文・青葉薫)【あらすじ 解説 考察 評価】 【写真】池松壮亮の演技に震える…貴重な未公開カットはこちら。映画『本心』劇中カット一覧
平野啓一郎の原作が予見していた未来
愛する人の死――中でも「自死」を周囲の人間はどう受容していくのか。哲学。宗教。文学。心理学。多方面で問い続けられてきたテーマのひとつだ。とりわけ日本では毎年2万人以上が自殺によって亡くなっている。自殺をタブーとする何らかの宗教に人口の半数以上が入信していないのも理由とされてきたが、近年、経済と政治によって「格差の拡大」と「弱者を切り捨てる社会」に突き進んでいることも大きい。 愛する人が自殺したとき、遺された者は迷子になる。夕暮れの雑踏で母親の姿を見失った子どものように茫然自失に陥る。「なぜ?」という疑問符が全身を逆流する。止めることはできなかったのか。あるいは自分にも原因があったのではないかと自責の念に駆られたりもする。 そして、その「本心」を知りたいと強く願う。 石井裕也監督・脚本による「本心」は母親に自殺された青年の物語だ。原作はコロナ禍に新聞連載された平野啓一郎の同名小説。2024年に映画化されたことで平野氏の小説がアフターコロナの社会が抱える様々な課題を愕くほど的確に予見していたことが改めて浮き彫りになっているのも見どころのひとつだ。 そのひとつめが「死の自己決定」にまつわる問題だ。
「答えのない問い」を突きつける"自由死"という制度
今と地続きにある近い未来、工場で働く石川朔也(池松壮亮)に同居する母・秋子(田中裕子)から電話が入る。 「大切な話がしたいの、帰ったら少しいい?」 だが、そう言い残したまま母は急逝。後に朔也は母が"自由死"の認可を受けていたことを知る。尊厳死を法的に認めた制度だ。自殺でも百万円ほどの見舞金が出る。多様性を尊重するような建付けになっているが、格差社会における「弱者切り捨て」政策と見ることもできる。 先頃日本でも安楽死の問題を社会保障制度の立て直しと関連付けて語った政治家が糾弾されたが、少子高齢化で社会保障制度が崩壊していく中、いつまた"死ぬ権利"という建前で同様の議論が始まらないとも限らない。 また、社会保障の問題と関係なく、憲法13条の幸福追求権「生命、身体にかかわる自己決定権」を盾に死ぬ権利を主張する声も一定数存在する。 世界には積極的安楽死が合法化されている国も存在する(不治の病における苦痛を取り除く医療行為のひとつとしてではあるが)が、日本ではいつどのように死ぬかを自分で決める権利は認められていない。 また他者が望む死の実現に加担することは自殺幇助として罪に問われる。自分の意志で生まれてくるのを選べないのと同じように自分の意志で死を選ぶことはできない。それは幸福なことなのか。ならば幸福な死とは何なのか。それは他者を不幸にしても優先されるべき自由なのか。本作の"自由死"という制度がわたしたちに問い掛けてくる「答えのない問い」はとてつもなく重い。