人間は過去を「思い出せない」…!「語り直し」が「事実」をつくる意外なしくみ
昔をそのままに思い出すことは、できない
もう少し説明しよう。ある事件が起こったとき、それがどういう意味を持つ事件であるのか、そのすべてを理解することは、当時の人にはできない。 例えば、第二次大戦が始まったとき、当時日本に住んでいた人びとは、そして世界の人びとは、それがどんな意味を持っているのか、そのすべてを知ることはできなかった。大戦が後に核爆弾による最後を迎え、冷戦を生み出すとは思いもよらなかっただろうし、それが未来の日本のあり方に、どんな意味をもたらす出来事だったのかを理解することはできなかっただろう。 「ある出来事に関する全真実は、その出来事そのものが起こった後、時にはずっと後になって初めて知ることができる。どんなに優れた目撃者でも知りえないことなのだ」と歴史の哲学の立役者の一人、アーサー・ダントーは言う(Danto 1965, 151)。 だが、後に生きる人びとは、当時の人が使うことのできなかったデータや理論や道具を用いることができる。それゆえ、実は、第二次大戦当時の人びとよりも未来に生きる私たちの方が当時のことをよく「理解」できる場合すらありうるのだ。「歴史家は、当時利用できなかった概念を用いて、それ以前の時代には知り得なかった真実を含む方法で、回顧的な理解を用いる」(Roth 2019, 10)。 歴史的語りとは、当時の出来事を新しい仕方で説明することができる不思議な営みであり、意義深い説明の様式なのである。 確かに、当時の人が理解した当時の出来事の意味を探ることも歴史学的叙述の役割だろう。当時の人びとが第二次大戦をどのように評価したのか、日本に住む人々が開戦をどう受け止めたのか。 だが、歴史学的叙述は、そうした過去の復元に加えて、過去がどのような意味を持っていたのかを、より広い視野で解釈し、現在において過去がどのような意味を持つのかを再解釈する営みでもあるのだ。 そして何よりも、私たちは過去を「理解」するとき、思い出すのではなく、それを語り直す。過去をそのまま思い出すことはできない。なぜなら、過去とは本質的に、現在の私たちの語りによって更新されていくものだからである。私たちは、語り直しによってのみ過去を理解できる。 いや、語り直さざるをえない。なぜなら、私たちは当時よりもいっそう様々なことを知っており、新しい概念や枠組みのもとで過去を語らざるを得ないからだ。