人間は過去を「思い出せない」…!「語り直し」が「事実」をつくる意外なしくみ
「過去制作のプロ」としての歴史学者
さて、歴史的語りについて分かったことを整理しよう。 歴史的語りとは、独特なタイプの語りである。それは、ある出来事に対して、それが他の出来事とどのような意味で関連しているのかを、当時の「空間的な」広がりのなかで理解しつつ、同時に当時と現在という「時間的な」広がりのなかで明らかにする。これにより、因果的な関係を2つ以上の出来事間に結びつけるだけではなく、相互に影響を与え合ったり、影響の度合いを把握したり、時間的な影響関係を仮説的に発見したりすることができる。 哲学者カール・ヘンペルは歴史的語りを科学的説明へ還元しようとしたが(Hempel 1942)、ダントーやルイス・O・ミンクをはじめとする歴史哲学者たちはその主張に異を唱え、歴史を語ることは、単なる因果法則の適用ではなく、新しい解釈を生み出す行為であると、その構成的側面を強調した。この発想を自己語りに当てはめれば、私たちが自分の来歴を語るとき、ただ事実を列挙するのではなく、特定の視点から再構成していることが明らかになる。 もちろん、過去を制作することにはいつも危険が潜んでいる。過去を好き勝手に作り上げることで、まさしくナチズムは、自分たちにとって都合のよい歴史的語りを介して、その悪徳な所業を正当化していた。 たとえば彼らは、第一次世界大戦後のドイツの苦境を「ユダヤ人による裏切り」などという根拠の乏しい物語に乗っかり、ユダヤの人びとに対する怨恨を深めていった(Evans 2003)。ナチズムは、自らの侵略、民族虐殺、障害を持つ人々の虐殺を「民族の再生」や「文化的進歩」の表れとして語ったのである。 過去をよりよく制作するためにはいくつかの基準や美徳を想定することができる。 歴史哲学者のヨウニ・マッティ・クッカネンは、歴史学の基準について、先ほど論じたロスとははっきりと対立する立場ながらも次のように論じている(Kuukkanen 2015, esp. ch.7, ch.9)。歴史学者たちは、データそのものから唯一の「正解」としての歴史像や解釈枠組み(クッカネンの概念では「結合(colligation)」)が定まらないことを認識しながら、ある解釈枠組みが、他の解釈枠組みと比較してより整合的で、幅広く、包括的で、独創的で、事例を的確に例証しているかという5つの認識にまつわる基準を用い、複数の可能な歴史解釈から相対的により優れたものを選び取っていると言う(Kuukkanen 2015, ch.7)。 そのため歴史研究は、ある意味「なんでもあり」な語りの生成とは異なり、学問的コミュニティが作り上げてきた評価規準によってガイドされている。 歴史学において歴史的語りを行う人びとは既存の議論に参加しながら、自らが提示する解釈が先行研究にどのようにして応答・接続できるのかを検討しているのだ。実際に歴史学に従事する人びとは、よりよく「過去を制作する」ために、日夜歴史的語りを行っている。 歴史学者とは、過去制作のプロなのである。 >>自分語りの危険性について、さらに知りたい方は、つづく「話せば話すほど「誤解」される!「自己語り」に潜む「一貫性」の落とし穴」もぜひお読みください。
難波 優輝(美学者・会社員)