人間は過去を「思い出せない」…!「語り直し」が「事実」をつくる意外なしくみ
過去を「再-制作」する歴史学
私たちの自己語りは、ただ過去をありのままに記述するのではなく、つねに何らかの枠組みのもとで語り直す行為である。この点で、自己語りは、歴史学者が過去を説明するために用いる「歴史的語り」と似ている。 歴史哲学の議論によれば、歴史的語りは過去を再構成する営みであり、その意味づけはつねに新たな概念や解釈の枠組みによって変化しうる。自己語りも同様に、私たちがその都度新たな観点から自分の来歴を説明し直す行為なのだ。 歴史学を実践する人びとは、過去の出来事をつないで、歴史の様々な「なぜ」に答える「歴史的語り(historical narration)」を行っている。「なぜ人びとはヒトラーを選んだのか?」「なぜ日本政府は第二次大戦の開戦に突き進んだのか?」「なぜ西洋で産業革命が起こったのか?」こうした問いに答えるために歴史学者たちは日々議論を繰り広げている。近年再興し、目覚ましく発展を遂げている「歴史哲学(philosophy of history)」では、この歴史的説明の特徴についての興味深い議論が行われている(Little 2020; Tucker 2011; Kuukkanen 2015; Kuukkanen 2020; cf. Danto 1965; ダントー 2024; Mink 1987)。 近年の歴史学の哲学を牽引する歴史哲学者の一人、ポール・ロスは、『歴史的説明の哲学的構造』において、過去の「事実」は存在せず、過去は作られる、と主張する(Roth 2019)。どういうことだろうか。 もちろん、過去には何らかの出来事があった。それは疑いようがない。だが、その出来事の「意味」はつねに解釈に開かれている。私たちは、出来事の意味をいろいろと記述できる。だが、その意味の記述の絶対の正解は存在しない。現在の出来事についてもそうだし、過去の出来事についてもそうなのだ。 歴史的語りとは、つねに過去の再-制作(past-remaking)なのである(cf. ハッキング 2012)。