中山美穂さんを14歳でスカウトした「恩師」が明かす“6畳生活”と“月給5万円”から国民的スターになるまで
■ドラマ初出演翌日から「電車に乗れなくなった」 美穂さんがブレークするきっかけとなったのは、85年1月8日にスタートしたドラマ「毎度おさわがせします」(TBS系)への出演だった。ツッパリ娘でトラブルメーカーの「森のどか」役で出演し、一夜にして人気者となった。 「その頃ちょうど、美穂とCMのオーディションを受けに行ったんですが、落ちて帰ってきました。ションボリしながら渋谷の街をブラブラと歩いていたら、街中で元部下から『山中さーん』と声をかけられたんです。彼は芸能関係の仕事をしていて、『明日、TBSのドラマのオーディションがあるから受けてみない? 私のほうで連絡をつけておきますから』と言ってくれたんです」(同) 翌日、山中氏は美穂さんと東京・赤坂のTBS前にある喫茶店「アマンド」(当時)の前で待ち合わせして、オーディションに向かった。 「ドラマのオーディションはダメだとすぐに帰らされます。でもその時は時間がかかったので、『もしかしたら』と思ったんです。TBSのディレクターから『一応、候補には残っています。夜、返事をしますから』と言われました。そうしたら合格。そりゃあ、美穂は喜んでいましたよ。事務所の電話番をしてもらったり、私が作った飯を食べさせたりして、それまで散々苦労をかけてきましたからね」(同) 原宿でスカウトしてから、約2年半の月日が流れていた。「毎度おさわがせします」は社会現象になるほどの大ヒットドラマとなり、「中山美穂」の名前は日本中に広まっていった。 「一夜にして、私も美穂も世界が一変しました。美穂は当時のインタビューで『ドラマが放送された次の日から電車に乗れなくなりました』と答えていました」(同) とはいえ、初めてのドラマ挑戦。内容は思春期の性を描いた作品だったこともあり、現場での苦労も多かったようだ。 「何もわからないから、美穂は怒鳴られ、現場で泣き出したこともありました。その度に、私は『お前のとこのタレントは何をやっているんだ!』と怒られました。その頃の現場は今よりも強かったですし、名もない事務所のタレントでしたから、言いやすかったという面もあったのかもしれません。でも、私たちに失うものはなかった。美穂も辛かったと思うんですけど、ただひたらず、ドラマを懸命にがんばりました」(同)