「女性なんですがサッカーコーチになれますか?」スペインサッカー協会の驚愕の回答
2003年に、日本のサッカーS級ライセンスに相当するNIVEL IIIを取得。同じ年にスペインリーグ3部のプエルタ・ボニータの監督に就任した佐伯夕利子さん。同国で女性としても日本人としても初めて監督に就任し、2007年には『ニューズウィーク日本版』で「世界が認めた日本人女性100人」にノミネートされた。 【写真】コーチ養成講座の「同級生」エンリケ選手と佐伯夕利子さん。スペインの新聞も 「プエルタ・ボニータ」は当時3部リーグだったとはいえ、日本で言えば女性がJ3のクラブを率いているようなもの。その後、ビジャレアルの女子チームの監督を務めるなど指導者としての経験を積み、2014年からビジャレアルが行ってきた指導方法の変革にも大きく関わっている。久保建英選手がビジャレアルに移籍し、初めてクラブハウスに訪れた際、佐伯さんに深々と挨拶していた写真を覚えている人もいるかもしれない。 佐伯さんはなぜ外国で、それも女性として前例がないなか、サッカーコーチになったのか。そしてその指導方法はどのようなものなのか。その内容が一冊に凝縮されたのが佐伯さんの著書『本音で向き合う 自分を疑って進む』(竹書房)だ。 本書から抜粋して紹介する前編では、日本でサッカーをする場所がなくなっていた佐伯さんが、家族の都合によりスペインに移住し、そこで「サッカーコーチ」という仕事をやりたいと感じたときのエピソードをお伝えする。
「女の子は今までおったことがない」
住んでいた福岡で小学3年生から始めた。 「女の子は今までおったことがない。かたせられん(仲間に入れられない)」 少年団で拒否されて1年。ひとり校庭でボールを蹴り続ける境遇を哀れんだのか、友達の母親らが「一所懸命やりよるとに。かたせちゃり(仲間に入れてやって)」と監督さんを説得してくれた。おかげで、晴れてチームの一員になれた。 手を使えない、ある意味不自由なスポーツなのに、それぞれが自分のアイデアで動ける自由さ。そして、ボールをネットに突き刺したときの爽快感。サッカーの虜になった。それなのに、転校先に男子サッカー部はあれど女子が入れるようには見えなかった。中学生からはプレーする環境がなかった。 私は、サッカーに飢えていた。 マドリードで暮らし始めてすぐに市内にある女子チームに入団した。サッカーはスペイン語でfútbol(フッボル)。ここから、サッカーは私の中で「フットボール」という名称に変わった。仲間も皆フレンドリーでやさしくしてくれた。彼女たちとフットボールをより理解したくなった私は、スペイン語の修得に懸命になった。両手につかんだ西和と和西の辞書2冊を振り回しながら、彼女たちをシャワールームまで追いかけた。 「あのさ、さっき言った〇〇はこれだよね?」 辞書はシャワーのお湯や私の汗にさらされた。けれど、どのページもふにゃふにゃになり非常にめくりやすくなった。わお、辞書の紙って丈夫なんだ、と感心した。 そんなふうにサッカーを楽しみながら、3か月ほど経つと、モヤモヤし始めた。並行して通っていた大学で費やす時間に疑問を持ち始めた。 「これって私がやりたいことなのかな?」 「生きたい人生じゃないんじゃないの?」 学食でランチを食べながら。夜布団の中にもぐり込んでから。自分へのクエスチョンが怒涛のように押し寄せる。 「いや、私、そもそも文学を選んだ理由がよくわかってないじゃん」 「このまま文学を学び続ける意味って、あるんだろうか」 大学も授業も特段楽しくない。平日は渋々大学に通い、毎週末にゲームがあるフットボールだけが心地よい時間だった。