新潟・湯沢 フジロックフェスティバル25年の歩み 音楽フェスで築くまちづくりの今後
「私は新潟県柏崎市の出身で、大学進学を機に上京しました。バンドサークルに入っていた学生時代の2004年にフジロックを観たのが最初です」 大学卒業後に就職、結婚して子どもにも恵まれた。しかし、2人目の妊娠をした18年、「このまま東京で働いて暮らしていっていいのかって、モヤモヤした気持ちがもたげ始め」(伊藤さん)、地方に移住して起業することを思い立ったという。 「東京から電車で90分圏内で移住先を探し、熱海(静岡)や那須塩原(栃木)、軽井沢(長野)などを調べている中、湯沢に勝機があると思って決めた」(同) JR越後湯沢駅は東京まで新幹線で約1時間20分。候補地の中では一番遠い場所だったが、「空き部屋のリゾートマンションが豊富で、若い世帯には住みやすい環境が整っている」ことが決め手の一つとなって、19年に伊藤さんは会社を辞め、湯沢町で起業した。 観光資源のメインはウインタースポーツだ。町内にスキー場は計12カ所あり、用途や環境に合わせて選べる利点がある。加えて、夏のフジロックも魅力の一つになっているという。 ◇難関は「円安」「海外フェス」か 伊藤さんは昨年、湯沢町と新潟市の中間に位置する三条市に支店を出し、事業を拡大。これまで232人の移住を手がけた。このうち約8割が20~40代の若い世帯だという。 「今後、フジロッカーの移住促進にも力を入れていきたいが、そのためには行政との連携が不可欠。就労支援とともに、教育、医療、福祉や介護など暮らしやすい町への政策提言を積極的に行っていきたい」(同) 官民協働のまちづくりが進められることに期待が寄せられる。 そして、フジロックが今後も継続し続けるためには何が必要なのか。前出・柴さんはこう語る。 「やはり、旬の海外トップアーティストがヘッドライナーとして出演し続けることが一番大切」 しかし、時勢を見回すと厳しい状況も否めない。 「近年、マレーシアやインド、インドネシアなどでもフェスが増えています。世界のトップアーティストの〝奪い合い〟が激化する中、円安の影響で招へいが困難になっている」