新潟・湯沢 フジロックフェスティバル25年の歩み 音楽フェスで築くまちづくりの今後
「説明を聞いた地域の方々は『受けてみようじゃないか』と賛同しました。実は88年から93年まで湯沢中央公園の野球場で『POP ROCKETS』という野外音楽フェスのはしりのようなイベントが行われたことがあったので、抵抗は少なかったのだと思います」 しかし、POP ROCKETS2年目の89年、デビューしたてのX JAPANが出演した時、町内はビジュアル系ファッションの若者で溢(あふ)れた。ロックフェスでまた違和感だらけの人たちが町内を闊歩(かっぽ)するのではないかという懸念が地元の人たちの頭をよぎった。 「とはいえ、湯沢は観光の町なので、ものすごい抵抗感というものはなかったと記憶しています」(同) 受け入れには好意的だったものの、一つの問題が生じたという。 「7月最終週の湯沢町は、高校生、大学生、社会人のスポーツ部やブラスバンドの合宿があり、宿泊施設は多忙な時期。その兼ね合いが問題になりました」(同) 旅館やホテルが満員になりやすく、駐車場も混みやすい。その〝交通整理〟が最初の課題だったという。このような問題も石飛さんたちは一つ一つ丁寧にクリアし、何とか無事開催に漕(こ)ぎ着けた。 ◇湯沢でロックフェス文化根付く 第1回にも出演したレイジや、ブラー、ZZトップなどの海外有名アーティストがヘッドライナー(主役)を務め、国内アーティストも忌野清志郎や東京スカパラダイスオーケストラ、奥田民生など錚々(そうそう)たる面々が出演し、観客は延べ7万人を超えた。 前出・柴さんはこう語る。 「日本のロックフェス文化は、湯沢で2回目以降となる2000年から始まったと言えるでしょう。これまで野外イベントとしては全日本フォークジャンボリー(通称・中津川フォークジャンボリー)や箱根アフロディーテなどありましたが、同じ場所で毎年行われる野外ロックフェスはなかったからです」 全日本フォークジャンボリーは、69年から71年までの3年間、岐阜県の椛(はな)の湖畔で開催されたものの、運営上のトラブルなどで打ち切りとなり、定着には至らなかった。