日本で「75歳男性」はどう生きるか…意外と知らない「その現実」
年収は300万円以下、本当に稼ぐべきは月10万円、50代で仕事の意義を見失う、60代管理職はごく少数、70歳男性の就業率は45%――。 【写真】意外と知らない、日本経済「10の大変化」とは… 10万部突破のベストセラー『ほんとうの定年後』では、多数の統計データや事例から知られざる「定年後の実態」を明らかにしている。
幕僚監部から看護師寮の管理人に
佐藤正昭さんは防衛大学校(防大)を経て自衛隊に入隊した。最初の1年間は幹部候補生学校で過ごし、卒業した段階で、自衛官として任官する。肩書は尉官で、通常の軍隊でいう少尉だ。 練習部隊に入り、国内を巡り、海外へも出た。帰国後に配属先が決まる。いくつかの部隊で活躍しながら、42歳のときには、80名程度で構成される部隊の指揮官に抜擢される。 「単独行動を旨とした部隊で、指揮官にすべての責任がかかってくる。初めての指揮官配置ということで、その職に就けたことは本当にうれしかった。自衛官たるもの指揮官配置は特別ですから。とても誇りに思いました」 その後、幕僚監部(参謀部)に異動し、予算作成や次期防衛計画、武器の開発要望書の作成に携わる。政府との折衝が不可欠で、官僚との丁々発止のやり取りを繰り返す。しかしその後、防大の教授となって戦略を講義せよという意に沿わぬ人事が来た。 「指揮官配置を終わった後、幕僚監部として勤務しました。聞こえはいいですが、自分の思ったとおりにいくような仕事ではありません。現場からの要望がありますが、大蔵省に新しい要望を認めさせるのはそう簡単ではないです。妥協しなきゃいけないところはいくらでも妥協しなきゃいけない」 「それが終わった後、実は自分が希望してなかった防衛大学校の教授の配置に行ったんです。全く自分では想定もしていなかった人事でした。これでラインを外れちゃったなと。順調に出世していると思い込んでいたのですが、出世レースの一番手ではなかったことにここで気づきました」 ところが、防大に赴任してみると、学生との交流が案外楽しかった。海外の軍隊の教官を多数招聘して行われた士官学校サミットの企画運営にも携わる。防大での2年間を経て、再び指揮官として情報部隊に異動する。任されたのは情報部隊の再構築。コンピュータを使った情報システム構築は随分やってきていました。自衛隊での仕事の総仕上げだと思い、2年間、一生懸命取り組んだ。 60歳で自衛隊を定年退職し、晩年の情報部隊在籍時に付き合いがあったシステム会社に先方から請われて再就職する。肩書は顧問だが、決まった仕事はない。自衛隊と契約して仕事をしているわけだから、情報セキュリティは盤石だろうと思っていたが、確かめてみると、脆弱そのものだった。このままだと自衛隊との仕事もできなくなると社長に直訴し、改善のための権限を与えてくれるように頼んだ。 社長は申し出を快く受け入れてくれた。全社のセキュリティ体制をゼロから構築し直した。監査員の国際資格を自ら取得、毎年監査を行い、穴が見つかったら改善するところまでやり切った。年金支給が始まる63歳までは正式な顧問として毎日出社し、それ以降は非常勤で週3日勤務であった。 佐藤さんは現在75歳になる。システム会社を65歳で退社した後、自衛隊の先輩から紹介を受け、病院の女性看護師寮の管理人として働いている。早番、遅番、宿直に分かれ、週3日勤務というサイクルで仕事を行っている。具体的な仕事は寮の出入管理、ゴミ出し、清掃、宅配物の取り次ぎ、施設の点検や不具合の発見などである。 「看護師さんの仕事っていうのは大変なんです。勤務時間も不規則で夜中に出てって朝方ふらふらになって帰ってきます。そういう仕事を本当に若い未婚の方々が一生懸命やっておられるのを見て、これはなんとか少しでも支えてあげたいなと。そんなに十分なことできるわけじゃないんですけども。特に昨今の新型コロナの状況になりますと、彼女らは非常に大変ななかで一生懸命やっておられるわけです。だから、なんとか気持ち的にも支えてあげたいなと考えてやっています」 自衛隊、防衛省などで勤務していたときと比べれば、現在の仕事は決して難易度が高い仕事とはいえない。しかし、現在の体調などを踏まえると、このくらいの仕事がむしろちょうどいいという。 「今の仕事はこれまでのように自分の能力をフル活用する仕事ではないです。時間と体力さえあれば楽勝です。職場が家から自転車で5分と通勤が楽で、自分の時間も十分にあります。もっと手応えのある仕事を選ぶっていったら、また通勤も大変になるでしょう。新しい仕事を覚えるのももうどうかなとも思います。できるだけ今の仕事で体力の続く限り続けていきたいなと」 佐藤さんは自衛隊在職時から糖尿病の持病を持っている。それに加えて、体調面での衰えも感じている。 「指揮官の仕事というのは数十名の命を預かる仕事ですから、その時のストレスで糖尿病を発症してしまいました。食事で取ったカロリーを運動で消費しないと糖尿が悪化します。なので、今後も仕事は自分の健康のためにもやっていきたいと考えているんです。プライベートも含めて日々のウォーキングは一日合計で1万5000歩ぐらいいきますね。体調面の変化でいえば、最近は記憶力の衰えも感じています。耳も遠くなって補聴器が必須。人とのコミュニケーションに困難を感じています。特に女性の声は高いもんですから何度か聞き返すこともあります。唯一、気力だけは健在ですね」 自衛隊の最高位クラスの幹部から地域の寮の管理人へ。仕事上の地位について、いまの佐藤さんには関心がない。どんな仕事でもそこで最善を尽くす。これには自衛隊時代のある上官の教えが影響している。 「私が若い頃にある指揮官から受けた影響が一つありまして、自衛隊っていうのは防衛省、つまりお役所の一貫です。要するにお役人に成り下がっちゃ駄目だよと。いわゆるお役人というのは、前動続行と言いまして、前の人と同じように行けば間違いない。だけど、それは違うと。前の人のやったことを乗り越えて、前の人がやらなかったことをおまえがやっていかなきゃいけない。着任して最初の半年はその勉強でいいけど、半年たったら次のステップに進むような新しいことを企画してやりなさいというのが、私が若い頃にある指揮官から教わったことです」 仕事の軽重にかかわらず、何かを付け加え改善していくことが、佐藤さんの働きがいだ。定年退職後に顧問として入ったシステム会社でも、頼まれたわけでもなく、セキュリティ体制を構築し直した。いまの寮の管理人の仕事でもそうだという。 「必ず次の配置に行ったら、今この配置で足りないものは何かを探しながらやっています。そういう部分が見つかったら、よし、ここは私の力でなんとかやってやろうという、それが私の生きがいです。今の仕事でも一緒です。あれをやっとけば環境が良くなるなとか、こんなことやったら看護師の方たちがもうちょっと住みやすくなるなとか。本当に細かいことなんですけども、自分なりに考えてプラスアルファの仕事を、決められたルーティンに加えて日々少しずつやっています」 プライベートで最近注力しているのは、自身が住んでいる団地の自治会の防災委員会の活動。自治会長の下の副責任者として団地の防災活動の企画と実行に携わっている。10年ほど前から関わっており、地域での活動に仲間と楽しく取り組むこともまた佐藤さんの生きがいの一つとなっている。 「自治会の役員が順番で回ってきて、これまでは全部家内にやってもらってたんですが、60歳を過ぎてから僕がやるよということで。自治会に出てったら、団地の防災がちょっと手薄だなと。役員としていろいろ訓練の計画を立てたり提案をしたりしてたら、だんだんみんなが『佐藤さん、佐藤さん』って言うようになっちゃって。地域には私と同じくらいの歳の方がたくさんいますので、話していると楽しいですね」 つづく「多くの人が意外と知らない、ここへきて日本経済に起きていた「大変化」の正体」では、失われた30年を経て日本経済はどう激変したのか、人手不足が何をもたらしているのか、深く掘り下げる。
坂本 貴志(リクルートワークス研究所研究員・アナリスト)