「中古は恥ずかしい」という意識が変わったコメ兵4代目の若手時代 危機下で着手した組織強化
現場の店長に権限委譲
しかし、2008年のリーマン・ショックで、コメ兵全体で322億円(2008年3月期)あった売り上げが289億円(2009年3月期)に減少し、2010年3月期も238億円に落ち込みました。「以前は東京で投資しても名古屋で稼げましたが、リーマンではすべて落ちたので、怖さがありました」 石原さんは当時の役員たちから立て直しを任され、2009年4月に名古屋本社に戻り、新設の営業企画部の部長に就任。6月に取締役となりました。 当時の名古屋本社では、ジュエリーや時計、バッグなど各商材ごとに担当部長がいて、それぞれ年何十億円の予算を持ち、広告宣伝や求人の権限を持っていました。一方、現場の店舗スタッフに強い裁量権はなく、イベントなども開きにくい状況でした。 営業企画部は社内横断的に店舗開発やマーケティング業務を担う部署です。部長の石原さんは、もっと現場の声を営業施策に生かせるよう、店長に権限を委譲させる組織改革の提案や実施へと動き出しました。 直属の部長のやり方に疑問を持っていても、部下は思いを伝えづらいもの。石原さんは他部署なので、社員も意見が言いやすいという立場を上手に利用したのです。 「私が同じ立場の部長に物を言う横軸を担うことで、現場の裁量権を増やし、お客様のニーズに合ったサービスを迅速に行う体制を整えました」 石原さんは全店舗を回ってさらなる課題解決に動き、営業本部長と名古屋の本店の店長を兼務してテコ入れも図ります。「当時、本店は伸び悩み、スタッフの雰囲気も『自分たちはこれくらい』と天井を勝手に決めているムードがありました」 新宿店時代に育てた若手を名古屋に呼び寄せて各フロアのまとめ役を任せ、東京で培った商品管理や在庫管理のノウハウなども伝えました。2008年から始めたポイントカードのデータも細かく分析し、セールだけでなく顧客ニーズにあったイベントなども開きました。