「中古は恥ずかしい」という意識が変わったコメ兵4代目の若手時代 危機下で着手した組織強化
リユース大手のコメ兵ホールディングス(HD、名古屋市)は、戦後に約5坪で始まった古着屋から1千億円超の上場企業に飛躍しました。4代目社長の石原卓児さん(52)は、父の急逝で1998年に家業に入り、仲間とともに成長の一翼を担いました。かつては「中古は恥ずかしい」という意識もありましたが、リーマン・ショックや爆買いブーム終了などの危機を仲間と乗り越えるため、矢継ぎ早の改革を提案し、組織強化を図りました。権限委譲や人材登用、オークション会社の設立、偏った商品構成の見直しなどを進め、ライバルと見られがちなフリマアプリとも協調し、リユース市場の価値を高めています。
SNSで発信したくなる店に
ポップアートに囲まれた空間に、買い取り品のバッグやシューズ、時計や服がずらりと並びます。コメ兵が2023年11月、東京・渋谷のスペイン坂下にオープンした旗艦店「KOMEHYO SHIBUYA」を訪ねると、国内外の若者が商品を手に取る姿が目立ちました。リユース店のイメージを覆し、ポップカルチャーの街に溶け込んでいます。 1階にはトレンドアイテムがそろい、2階は過去の名作アイテムなどが集結、3階はコラボ商品などを販売しています。4階には、コメ兵の強みの買い取りスペースをバーカウンター風にアレンジ。各階の表情が異なる仕掛けです。 「店舗開発に携わるメンバーには、『コメ兵のお客様はこういう方々』と決めつけず、既存店と同じような店にしないでほしいと伝えました。みんなが話し合った結果、グローバルなZ世代の心をつかみ、思わずSNSで発信して行きたくなるお店をつくりましょうとなったんです」と石原さんは振り返ります。 国内228店舗、海外21店舗を出店し、売上高1194億円(連結)に成長したコメ兵HD。しかし、石原さんが幼いころは名古屋市内のいちリユース店でした。
「偽物では?」とからかわれ
コメ兵は1947年、石原さんの祖父大二さんが開いた約5坪の古着屋「米兵商店」から始まりました。 石原さんが小学生のころ、名古屋市の大須商店街に1店舗を構えていました。当時は周囲にリユース店がなく、その地位も今より低いもので、石原さんは家業に少しマイナスのイメージも持っていたそうです。 「みんな子どもなので、『売り物が壊れているんじゃないのか』、『偽物では?』とからかわれました。新品を扱っていればこんなこともないのにと…」 「コメ兵の息子」と言われて育った石原さん。中高でラグビーに夢中になり、東京の強豪大学への入学を目指すもかなわず、競技発祥の地・英国の大学に進もうとします。 留学費用を親に出してもらうのは抵抗があり、アルバイトを始めました。当時社長だった父秀郎さんからは「みんなが避けるほど厳しい仕事を選びなさい」と言われます。アルバイトとはいえ、簡単にお金を得てはいけないという父の思いがありました。石原さんは花き市場に入り、菊などが詰まった段ボールを運ぶ肉体労働をしました。 「午前5時から正午まで体育会系の学生に交じり、汗でドロドロになりながら働きました」。それ以外も英会話スクールで勉強したり、母校の中学校でラグビーを教えたり。親に極力頼らず留学準備を進めました。