「AIより人間がつくった作品のほうがいい」という価値観は変化するのか。AI研究者・今井翔太に聞く
ハリウッドでも進むAI活用。重要なのは「人間の意図」
─例えば、いま公開中の映画『マッドマックス:フュリオサ』では、フュリオサの幼少期からの変化を子役の顔と主演のアニャ・テイラー=ジョイの顔をAIで合成することで表現していることが話題になっています。 今井:ハリウッドなどの場合、仮に生成された子役を使っていたとしてもそのセリフや動きを考えているのは裏にいる人間で、つまりそこには人間の意図があるんです。映画をつくっている人が、AIの動きも含めて考えてつくったもので、それが事前知識としても伝わっているので、観客は「機械がつくった」とはそこまで意識しないのではないでしょうか。あくまで外見が機械的につくられているだけで、裏には人間がいる。その利用方法は妥当なものだと思っています。 今井:ほかにも、映画だと『トップガン マーヴェリック』では闘病によって声が出なくなったヴァル・キルマーの声をAIで生成していました。ちゃんと裏に人間の手が入っていて、表現手段としてAIを使わざるを得ないということであれば、人々からそこまで違和感が持たれないのではないかと思います。 例えば、僕は映像をつくる知識はありませんが、少なくとも表面上はAIを使って映像をつくることができる。でも、僕が映像に気持ちを込めてつくったとか、すごい工夫をしたとか、そういうものはないわけじゃないですか。たかがAI研究者がいくつかプロンプトを入れてつくっただけで、それはまったく努力ではない。そういったものを、人間も評価したくないと思います。 ハリウッドの事例のように、手の込んだ表現手段として使うことと、映像やイラスト、音楽について何の知識もない人が、創作に対して熱意なくいいものを生み出してしまうことは、一線を画していると思いますね。
インタビュー・テキスト・撮影 by 廣田一馬 / インタビュー by 生田綾