「AIより人間がつくった作品のほうがいい」という価値観は変化するのか。AI研究者・今井翔太に聞く
AIを使いこなすには、まず「専門性」が必要
─CINRAでは業務効率化のため、文章の要約などでAIを試験的に取り入れようとしています。一方でAIが生成した文章には間違いも多いですし、活用しきれているとは言い切れません。AI活用にまだ課題を感じている人は少なくないのではと思います。 今井:AIを使いこなそうとするのであれば、まずはしっかりその分野のエキスパートになったうえで、最低限のプロンプトエンジニアリングの知識とスキルを上げる必要があると思います。 例えばいま、イラストなどはAIによって誰でも綺麗な出力ができるようになっているわけです。でも、みんながすごいことをできるようになった瞬間、「みんなができる」ので価値がなくなってしまう。 そのなかで価値を出すには、その分野での専門知識や、みんなと違うプロンプトを入力することが必要です。絵を描く人であれば絵を描く技法、新聞記者であれば取材や編集、構成の技術、弁護士であるなら法律の知識、金融であれば金融の知識など、AIとはかけ離れた、いわゆる独立した専門知識のことです。 AIを使いこなすには、まずAIを使わない、「素の実力」を身につけないとダメだという話です。専門知識があるからこそ、明らかに素晴らしいものをつくることができるんだと思います。
「人間がつくった作品のほうが良い」という価値観は変化するのか
─なるほど。クリエイティブ業界でもAIの活用が進んでいますが、著作権侵害の問題もありますし、人間の創造性を脅かすという懸念も指摘されています。今井さんが著書『生成AIで世界はこう変わる』で、人々の意識のなかには、AIよりも人間がつくったアート作品のほうが「良い」と感じる価値観が根強くあると指摘していたことが印象的でした。 今井:著作権の問題については議論が重ねられていますが、どう線引きしていくのかということは重要になってくると思います。 「人間がつくったほうが良い」というのは、僕個人としてもそうだと思っています。「機械が人間っぽいことするようなった」という、人類史のなかでも特殊な時期のいま、初めて気づいたことだと思うのですが、人間は国家同士では戦争もするものの、同じ種族で同胞なので、「人間は人間に感動する」というか、「人間を意識する」みたいなものが本能的にあるのではないかと思ってます。 僕もそうなんですが、素晴らしい映画や音楽を見て感動していたのに「じつはAIによって生成されたものでした」とネタばらしされたら、人間の本能からするとなにか「ハックされた、騙された」という感じにどうしてもなってしまうと思うんですね。 ちゃんと人間を評価したいのに、じつは機械でつくられたものだった、素晴らしいものをつくった裏に人間がいなかった、というのは本能的な部分でも気持ち的な部分でも寂しく空虚なものですし、繰り返しになりますが、人間は人間に感動するものなのだと思います。 ─AI自体を受け入れはしても、AIがつくったものを受け入れられない気持ちを捨て去るのは難しいと。 今井:そうですね。でも最近は、その意識がいつまで変わらないかもわからなくなってきています。先日、ある創作物にふれて素晴らしいなと思った瞬間があったのですが、それがAIがつくった作品だったということをあとから知ったんです。そういう体験もあって、機械によって生み出された作品を社会全体がどう受け入れていくのか、確証が持てなくなりました。じつは機械が生み出しても受け入れていく未来があるんじゃないかと不本意ながら少し思ってしまった。 とはいえ、いま起きていることは人類史上初めての事態なので、実際にどう転がるかは、たかが1人の研究者に聞いたところでわからないと思います。