知事が異例の特別レッスン 東京・兵庫の高校生が福島で考える日本の50年後
昨年12月末、灘(兵庫県)と筑波大附属駒場(東京都)の2高校の生徒計30人が参加して、福島で3日間の教育モニターツアーが行われました。福島原発周辺地域で活動する人々に、生徒は鋭い質問を繰り返していました。ツアー後半では、「自分なら、そして自分たちはどう考えるか」が問われました。福島県立福島高校の生徒も議論に参加しました。 【前編】津波に原発事故「生かされた命」 難関高生徒が福島で出会った人々の思い
「あなたは院長」災害時の患者をどう救う?
「被災を通して、リーダーの資質を考えよう」 ツアー2日目の12月26日夜、南相馬市立総合病院の及川友好副院長が生徒に問いかけます。及川さんは震災直後、犠牲者や避難者であふれる混乱した病院の運営にあたりました。生徒に発言を促します。 及川さん:津波で死亡した人は、どんな人が多いと思う? 生徒:高齢者や障害者だと思います。 及川さん:そうだね。みなさんは健康なので津波でも走って逃げられる。しかし世の中には、障害や高齢の「医療弱者」がいることを決して忘れないでください。 37人が津波の犠牲になった介護老人保健施設を紹介しました。病院から約1.5キロしか離れていません。
続けて、生徒に問いかけます。 及川さん:震災直後の3月14日、すでに原発で事故がおこり、放射線量は上昇。多くの住民が避難を始めました。しかし病院には200人の入院患者がいます。職員を集めて初めて全体集会を行いました。さて、職員にどういう指示を出しますか。 生徒:医療従事者だから、患者第一であたるよう、みなさんを鼓舞します。 生徒:病院スタッフも家族がいると思いますが、「できることをやっていこう」と伝えます。 及川さん:「患者は見捨てられない」ということだね。大賛成です。でも、そうはいいませんでした。「避難したい人はどうぞ自主避難してください」と伝えました。難しいところです。 及川さん:何人残ったと思う? 生徒:全員残ったのでは。 生徒:8割くらい。 及川さん:なるほど。私は半分くらい残ってくれると思ったが、残ったのは3分の1でした(274人中90人)。病院は女性スタッフも多いし、すぐその場を離れた医師もいました。 及川さん:しばらくして病院が動き出した後、スタッフは戻ってきた。それは、自主避難を認めたからです。ただ、避難したスタッフと避難しないスタッフとで、わだかまりが残ってしまうんです。 最後に及川さんは「非常時に大切なこと」を3点伝えました。 「マニュアルに頼らない。指示を待たずやれる者が行う。そして、患者のためにベストを尽くす」 いま、同病院には多くの勤務医が集まります。震災直後は常勤医師が4人にまで減りましたが、筑波大附属駒場から東大医学部を卒業した若手医師など、昨年4月で32人に増加。震災前の12人より大幅に増加しているといいます。