「家族は誰も来なかった」…面会者が刑務所で見た、伝説のストリッパーの”変わり果てた姿”
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第71回 『「一度、前科者になったらあかん」...収監されたストリッパーが直面した残酷すぎる受刑者の現実』より続く
刑務所での最大の楽しみ
刑務所での最大の楽しみは面会だった。 「保護司の先生とか、小沢昭一さんなんかも来てくれました。うれしかったね。久しぶりの顔やからね」 面会について語っていた一条が、私の前で寂しそうな顔をしたことがある。家族の話をしたときだ。 「家族は誰も来なかった。いないもんと思っているから、もう誰も来んでもええわって思ってた」 実際は彼女の11歳違いの姉が面会に訪れている。一条はあまり会いたくない様子だったらしい。一条が私に、「家族は誰も来なかった」と言った理由はわからない。家族に対し複雑な思いがあったのだろう。
自分のことだけ考えて
俳優の小沢が刑務所を訪ねたのは収監から約2ヵ月後の4月28日。一条の保護司と相談し、面会を決めた。目的を伝えた小沢に、刑務所幹部は困ったような顔を見せた。 「実は池田和子(一条の本名)に反則がありまして」 面会が許可できない可能性もあるという。 しばらく待つと、親類の代わりとして特別に面会が許された。小沢は刑務所幹部から、「彼女に、自分のことだけ考えて一生懸命やるように言ってください」とことづかった。 中庭を抜けて奥の建物に入り、小さな丸テーブルを挟んで一条と向かい合った。彼女は灰色の服を着ていた。2人の間に、女性看守がメモ用紙を開いて座っている。小沢はこう話し掛けた。 「顔色がバカによいので安心しました。元気そうですね」 一条は満面の笑みを浮かべた。 刑務所側から聞かされた「反則」に話を向けても、彼女は詳しく説明しなかった。他の収容者のためにやった何かが、刑務所の規則に反したようだ。言葉少なに、「もう、あたしの気持ちをわかってもらえました」と語るだけだった。 後で小沢が刑務所側から受けた説明では、彼女は罰金刑を受けながらそれを払えない者の相談に乗っていたらしい。刑務所では自分のことだけを考えねばならない。一条が大切にしてきた、他人を喜ばせることが「反則」となる世界だった。