豊富な資金で選手を呼び込みチーム強化、リーグを変えた外国人投資家 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生⑥】
プレミアリーグの商業的成功は海外からの投資マネーを呼び、クラブを所有していた伝統的なイギリス人オーナーに交代を促した。世界的な大富豪、オイルマネーをバックにした中東の投資会社、サッカーを「金の卵を産むガチョウ」と見た米国人実業家が各クラブを品定めし、買い漁った。そうしたクラブは成功を金で買おうと有力選手の獲得に大金を積み、移籍金の高騰とさらなる商業化が一気に進んだ。 【写真】相次ぐ事故や火災で死傷者、暴動と悲劇を経て動き出した改革 プレミアリーグ
その象徴がチェルシーだ。今でこそビッグクラブのイメージが強いものの1980年代には2部降格も味わい、1部リーグでも上位進出がやっと。同じロンドンを拠点とするトットナムやアーセナルと比べると存在感は薄かったが、2003年のオーナー交代を機に欧州を代表する強豪への道を駆け上った。 (共同通信=宮毛篤史) ▽「2000万ポンドの試合」 チェルシーはプレミアリーグ開幕翌年の1993年に元イングランド代表のグレン・ホドルを選手兼監督として招き、1995年には元オランダ代表のルート・フリットも加わった。イタリア代表のジャンフランコ・ゾラといった海外のスター選手も招へいし、チームの多国籍化で他クラブを先行した。 イングランド協会(FA)カップや欧州カップウイナーズ・カップを制覇するなど一定の成功を収めたが、リーグ優勝には届かなかった。その半面、背伸びした投資や選手の高額年俸が重しとなり8000万ポンド(当時のレートで約150億円)もの負債を抱え、ファンの間では身売り話で持ちきりだった。そうした中、2003年5月にクラブの将来を左右する分岐点となる試合を迎えた。
2002~03年シーズンのプレミアリーグ最終節、本拠地スタンフォード・ブリッジは異様な熱気に包まれていた。リバプールと勝ち点64で並んで迎えた直接対決で勝つか引き分ければ、4位をキープできる。翌シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)出場権が与えられ、2000万ポンドを獲得できるためだ。 財政難にあえぐクラブにとっては、文字通り「生きるか死ぬか」の大勝負だった。イギリスメディアは「2000万ポンドのノックアウト試合」と騒ぎ立て、ファンらは「倒産まで残り90分間だ」と冗談を言い合った。 ▽逆転でCL出場権獲得、そして買収へ 選手たちは前日の夜、ロンドン中心部の高層ホテル「ロイヤル・ランカスター」に宿泊し、ベトナム戦争に従軍したアメリカの退役兵の講話を聞いた。退役兵は小隊の仲間が己の身を犠牲にして他の仲間を逃がしたというエピソードを話し、ピッチで「チームメイトのために死ぬ」ように促した。元イングランド代表のグレアム・ルソーは試合直前、トレバー・バーチ最高経営責任者(CEO)から声をかけられたのを覚えている。「お前が違いを生むんだ。お前がいいプレーをすれば、みんながいいプレーをする」