世界的に無名なJ2柏のSB小池龍太はなぜ欧州クラブ移籍を決めることができたのか?
「最初は試合に出られるレベルではなかったし、レイソルに溶け込むために自分なりにいろいろと試行錯誤していたというか、どのようにして自分の色を出していけばいいのかと悩んだ時期もあった。それでも苦しい時間があっていまがある、苦しい時間があって本当によかったと思っています」 初めて挑んだJ1の日々をこう振り返った小池は、同時に「レイソルの一員として世界と戦いたい」と新たな夢を描き始めた。グループリーグで敗退したものの、昨シーズンはACLでも4試合に出場。戦うカテゴリーをまたひとつ、不断の努力を糧にしながら5シーズン連続で引きあげた。 シンデレラストーリーの次なるステージへ、下平監督は「日本代表ですかね」と目を細めたこともある。昨シーズンのレイソルは無念の17位で終わった。1年でJ1へ復帰させようと、J1クラブからのオファーを断って残留した小池にとって、ロケレンからのオファーは予期せぬものだったはずだ。 それでも、かつてレノファからレイソルへ移籍したように、今夏もまた断腸の思いと感謝の気持ちを前に進む力に変えて、小池は思い描いていたものとは違うかたちで、ロケレンの右サイドバックとして世界と戦う。レイソルの公式ホームページ上には、こんな言葉も綴られている。 「高校を卒業し、JFLの無名時代から海外移籍まで6年。日本のすべてのカテゴリーを経験し、その中でもここでは細かく語れませんが苦しい時期をたくさん経験しました。そんな6年間の小池龍太日本編を終えます。そしてここから世界編が始まります」(原文のまま) ポルティモネンセSC(ポルトガル)から今冬にアル・ドゥハイルSC(カタール)へ、そして今夏には名門FCポルト(ポルトガル)へ移籍した、日本代表MF中島翔哉(24)は母方の従兄となる。 「お互いの家が小学校のすぐ近くだったので、授業が始まる前に朝早くから(中島)翔哉と一緒に、楽しみながらずっとボールを蹴り合っていました」 ひとつ年上の中島とともに通っていた、八王子市立別所小学校の誰もいない校庭が小池のサッカー人生の序章と言っていい。そして、2004年に東京ヴェルディのジュニアへ入団して以来、常に先を走っていた中島の背中を、小池は憧憬の思いを抱きながら追いかけてきた。 「僕も翔哉から刺激を受けて、さらに頑張ろうと思える。お互いにそういう関係でいられたら」 中島より約2年遅れてヨーロッパの舞台に挑む。横浜F・マリノスから期限付き移籍しているMF天野純(28)とともに、ロケレンを1シーズンで1部に復帰させる。新天地の力になる過程で、まだ見ぬ日の丸をも狙っていく。飽くなき向上心とハングリー精神に導かれる小池のシンデレラストーリーに、まだまだクライマックスは訪れそうにない。 (文責・藤江直人/スポーツライター)