世界的に無名なJ2柏のSB小池龍太はなぜ欧州クラブ移籍を決めることができたのか?
日本サッカー界でも稀有なシンデレラストーリーが、舞台をヨーロッパに移して、新たなステージへ突入していくことが決まった。 J2の柏レイソルは8日、不動の右サイドバックとして今シーズンも21試合に出場してきた小池龍太が、ベルギーリーグ2部のスポルティング・ロケレンへ完全移籍すると発表した。ロケレン側からは先月末の段階で「3番」を背負い、3年契約で加入することが発表されていた。 J2戦線の1位に浮上したばかりのシーズン中に、公の場で言葉を発することなく、なおかつロケレンの発表から時差を生じさせて旅立つ。レイソルの公式ホームページ上でファン・サポーターへお詫びの言葉を綴った小池は、今月下旬に24歳になる状況で下した決断を、不退転の決意を込めながら「自分の人生を懸けて挑戦する」と位置づけた。 「世界で無名の僕はここから日本で成し遂げたことのように、のし上がっていける自信と覚悟を持っています。毎日、毎年、本当に数センチ・数ミリの段かもしれない成長という階段を一段ずつ飛ばすことなく、地に足をつけ登っていきます」(原文のまま) 東京都八王子市で生まれ育った小池は、中学校へ進学する2008年春に中高一貫のJFAアカデミー福島の入団テストに合格。3期生として入校するも、2014年春の卒校時に憧れていたプロから声がかからず、JFLを戦っていたレノファ山口へアマチュア契約で加入した。 「2つのチームの練習に参加したんですけど、オファーはなかったですね。自分としてはもうちょっと練習に参加したかったんですけど、チャンスを得られなかったのも実力だといまでは思っています」 当時をこう振り返る小池は、サッカースクールのコーチとしてアルバイトを重ね、15万円ほどの月収のなかで必死に生計を立てた。そして、JFLで17試合に出場したルーキーイヤーがシンデレラストーリーの第1章となった。
翌2015シーズンにはJ3が創設され、レノファも参入が認められる。背番号が「18」から「4」に変わった小池は、不動の右サイドバックとしてタッチライン際で躍動。チームは最終節までもつれ込んだFC町田ゼルビアとのデッドヒートを制し、参入1年目でJ3の頂点に立った。 J2へ昇格した2016シーズンはリーグ戦の全42試合に出場し、プレー時間はチーム最多の3743分間を数えた。12位に終わったレノファのなかでますます存在感を際立たせる、身長169cm体重64kgの小柄な右サイドバックのもとへ、オフになってJ1のレイソルからオファーが届いた。 実はJ2昇格とともに念願のプロ契約を結び、2016年7月には結婚して新たな家族ができていた。レノファへの感謝の思いを抱きながら、小池は迷うことなくレイソルへの移籍を決断した。 「素直に嬉しかった。自分が思い描いた通りに1年1年、飛び級することなく自らの足で一歩一歩カテゴリーをあげていきながら、4年かけなきゃダメだと思っていたので。すべての面で足りなかったからこそ、僕はすぐにプロにはなれなかった。基礎的な部分を補い、自分の特徴や武器を築き上げて成長してきたからこそ、J1という舞台にまで来られたと思っている」 こう振り返る小池は、最初はJ1リーグの壁にはね返された。開幕からの3試合は後半44分からの途中出場、ベンチ外、そしてリザーブ。もっとも、レイソルも1勝2敗と開幕ダッシュに失敗したことで、下平隆宏監督(現横浜FC監督)は先発メンバーの一部入れ替えを決断する。 ボールを繋ぐプレーに長けた、レイソルのアカデミー出身のスマートな選手たちが大半を占めるなかへ、まったく異なるキャラクターをもつ小池を融合させた。その意図を下平監督は「運動量とハートです。特にハートがものすごく熱い選手なので」と説明してくれたことがある。 JFLからはい上がってきた過程で培われてきた、一度手にしたポジションを絶対に明け渡してなるものか、という執念が込められたハングリー精神がレイソルのなかで異彩を放ち、瞬く間に新たな力へと変わった。第4節から最終節まで右サイドバックとして先発出場を続けた小池は、レイソルの4位躍進と2018シーズンのACL出場権獲得に貢献する。