ニュースでは伝わらない 戦乱のアフガンで確かに続く日常
●守ることができるはずの命
国連が運営するカブール郊外の学校 では、演劇を見て子どもたちが笑い声を上げていた。私たちにとっては当たり前の「手洗い」も、彼らにとっては当たり前のことではなく、演劇を通じて公衆衛生の概念を分かり易く伝えていた。 人口の70%が貧困下にあるアフガニスタンは世界で最も貧しい国の一つで、子どもの死亡率は世界で2番目に高く、4人に1人が5歳の誕生日を迎えることができずに亡くなっている。 背景には、貧困による食料不足、出産時の母親の健康不良、安全ではない水など衛生施設の不衛生さ、適切な医療サービスの欠如などがあり、抵抗力の弱い子どもたちが真っ先に犠牲になってしまう。子どもの主な死亡原因は治療や予防が可能な病気だが、医療施設が十分になかったり、治療に払えるお金が親になかったりして、守ることのできる命が失われている。
●終わらない負の連鎖
アフガニスタンには未だに1000万個以上の地雷が残り、月に300人以上の犠牲者が出ているといわれる。学校では教師が地雷や不発弾の形を教え、子どもたちが不用意に触らないように危険性を教えていた。 1980年代にソ連が撒いた地雷の中には、わざと子どもに興味を持たせるためにおもちゃのような形をしたものもある。未来の兵士になりうる芽を摘むというわけだ。写真に映る片足の少年は、サンダルを買うお金を集めるために鉄くずを拾い集めている最中に地雷に接触し、右足を失ってしまった。 たとえ戦争自体が終わっても、その負の遺産は何十年にも渡って残り続け、新しい世代の命を脅かし続けている。9.11以降、アメリカが「対テロ戦争」の名の下に行ってきた戦いで身内を殺された者たちの憎しみが新たな戦いの火種を生み、その負の連鎖は今も続いている。そして、数十年にわたって続く戦争で国が荒廃し、貧困から仕方なくISなどの過激派勢力に加わり、その報酬で家族を養う男たちもいる。
●自然と平和を愛する老戦士
バーミヤンに向かう旅の途中、チャリカールという街で、かつてムジャヒディン(イスラム聖戦士)としてソ連軍と戦ったアズィームと、少女と出会った。 女の子はカメラを向けると恥ずかしそうにしながらも、はにかんだ笑顔を見せてくれた。鮮やかなブルーのドレスが似合う、可愛らしい子だった。 アズィームは音楽家で、80年代のアフガン紛争中 も常に木製のフルートやオカリナをライフルとともに持っていた。180センチを超える大柄な姿と仙人のような長い髭がトレードマークで、彼の陽気な性格はいつも周りの兵士たちを和ませていたという。彼のオカリナはどこか懐かしさを感じさせる哀愁のある音色で、片時も楽器を離さなかった。彼の家を訪れるといつも最高の笑顔で迎え入れてくれ、瀕死の重傷だったという腹部のひどい銃創を見せながら「人生は幸せになるためにあるんだ」と笑う自然と平和を愛する男だった。 数年後 、 アメリカのとある図書館で偶然手にしたアフガニスタンを撮った写真集の中に、首から笛を下げてライフルを構える若かりし頃の勇ましい彼の姿を見つけた時は感動したものだ。