ニュースでは伝わらない 戦乱のアフガンで確かに続く日常
●乾いた大地
アフガニスタン中央部のバーミヤンに向かう途中で立ち寄ったカフェ。砂と岩でできたまるで火星のような大地には、ソ連製の戦車の残骸が転がり、その脇にポツンと土作りの建物が建っていた。中ではトラックの運転手たちが絨毯に腰を下ろし、ナンにバターをたっぷりと塗って急がしく口に放り込んでいる。羊肉と野菜のスープの香りが空腹の胃を刺激する。給仕の小さな少年が、銀色のプレートに砂糖をたっぷりと入れたチャイを載せて忙しく動き回っていた。 アフガニスタンでは、表面に脂が1センチ近く溜まっているようなスープを出されることがよくあった。脂分を多めに取るという、これも空気がとても乾燥している山岳国家ならでは の 生きる知恵なのだろう。夏場の空気の乾燥は凄まじく、びしょ濡れのジーンズを外に干せば2、3時間でパリパリに乾いてしまうほどだ。
●破壊されたインフラ
バーミヤン渓谷に流れる小さな 川で洗濯をする子どもたちのそばではロバが草を食んでいた。 ソ連との戦争で国土の70%のインフラが破壊され、郊外に出れば未だに電気、ガス、水道が通っていない地域がほとんどだ。子どもたちが家事を手伝うのは当たり前で、背中に幼い兄弟を背負ったまま川に水を汲みに行ったり、標高2000メートルを超える険しい山をサンダル履きで駆け登って行ったりする姿をよく目にした。
●多様な人種と言語
カブールで出会った子どもたち。東西と中東の文明が交差し、太古から人や物が活発に行き来していたアフガニスタンは、そのせいで人種も多様だ。欧米人と見分けがつかないような金髪に青い目をした人々や、中東・西アジアなどのような浅黒い肌で濃い顔の人々、かつてヨーロッパまで勢力を伸ばしたチンギス・ハン部隊の子孫といわれる、日本人そっくりなモンゴロイド系の人々などさまざま。 また多民族国家でもある。言語は地方によって異なり、公用語のペルシャ語方言であるダリー語やパシュトゥー語、その他10以上の地方言語が存在する。現在でも国に属しているというより「出身部族」に帰属意識を持っている人々も多い。