自分で選んだ道だから(後編)(Bリーグ・横浜ビー・コルセアーズ 青木勇人HC)
「彼が残してくれたものは大きかったので、彼の選択に対しては完全にリスペクトしようと思っていましたが、いざ勇輝がビーコルを選んでくれたときは、彼のことを誇らしく思うと同時に、彼と一緒にやってきたチームメートのことも誇りに思いました。もちろん、GMをはじめクラブの働きかけが根底にあったと思いますが、ワールドカップから帰ってきた後のインタビューで、彼が『ホームに戻ってきたんだな』ということを言ってくれたのを見て、それが一番嬉しかった。ここがホームなんだという雰囲気を作ってくれたのがチームメートだし、スタッフも身を粉にしてチームを支えてくれている。前のシーズンのジプシー生活のときに、毎回の荷物の移動などすごく大変なこともあった中で、全員がチームのためにワイワイ言いながら笑顔でやってくれた。そういうのを見て、“ホーム” と思ってくれたんじゃないかなと思います。お互いをリスペクトしているからこそ、勇輝はビーコルを選択してくれたんだと」 残念ながら2023-24シーズンは24勝36敗と勝率を落としてしまい、タイトルはおろかチャンピオンシップ進出も果たすことができなかった。しかし、青木自身のバスケット人生はこれまでもアップダウンの連続だった。この経験もまた、次のためのステップの一つだ。5月5日のシーズン最終戦を勝利で飾った後、記者会見でシーズンをこう振り返っている。 「『そんなに簡単じゃねぇぞ』ってバスケットボールの神様に言われたような気がします。昨シーズンは全てが上手くハマっていって、それを積み重ねられれば良かったんですが、なかなかそういうシーズンにはならなかった。ただ、それが失敗かと言われるとそうではない。もちろんこの結果には満足していないですし、責任もものすごく感じていますが、ここから学ぶものはいっぱいあると思うので、私自身としてはさらに成長できたシーズンだったと思っています。周りがどんどんレベルアップしていくリーグなので、自分も常にアップデートして、チャレンジを続けるべきだと思いました。いろんな課題が見つかっているので、次のチャンスがあればそれを試したい。バスケットもマネージメントもいろんなことを学んだシーズンでした」 シーズン最終戦の9日後にはクラブから退団が発表され、再び横浜BCを去ることとなった。「ビーコルを、華やかで歴史のある横浜のアイデンティティーの一つにする」という目標は道半ばとなってしまったが、それでも青木のバスケット人生は続いていく。湘南に生まれ育ったサーファーらしく「波に乗るのは得意(笑)」という青木は、この先もまた海に出ては荒波に揉まれ、それを乗り越えていくだろう。 (了)
吉川哲彦