バスケ強豪・福岡第一高の監督が指導者目指すきっかけになった「事件」…衝撃的だった新人戦「不戦敗」
福岡・福岡第一高の男子バスケットボール部は、インターハイ(全国高校総体)で4度、ウインターカップ(現・全国高校選手権)で5度の優勝を果たした強豪だ。「勝ちながら、いかに心を育てるか」。1994年の創部以来、チームを率いてきた監督の井手口孝さんは、今もコートで生徒に寄り添う。 【写真】「日本一にしてあげたい」。熱い思いで選手を指揮する井手口さん(10月5日、福岡県飯塚市で)=足立浩史撮影
今も忘れられないシュートがある。
小学6年生の頃、初めて出た試合だった。通っていた福岡市早良区の小学校に指導者はいなかった。バスケットシューズすら知らず、上履きでコートに立った。結果は2―44の完敗。唯一の得点は、自らのシュートから生まれた。「たまたまだけど」と笑うが、高く放ったボールがリングをくぐった瞬間、心が躍った。
同区の中学に入学するとすぐに、顔見知りの野球部の先輩たちに部室に呼ばれ、勧誘された。「『当然、入るだろう』って。でも、そのときの先輩たちの顔がちょっと怖くて……」
帰り道に体育館の横を通りかかると、開いた扉からバスケットボール部の練習がちらりと見えた。短パンにTシャツで軽快に走る姿は「とにかく格好よかった」。バスケ部を選び、本格的に始めると魅力に引き込まれた。部活が休みの日は外部の体育館を借りて練習するほど打ち込んだ。
例外が一日あった。心酔していたプロレスラーのアントニオ猪木と、ボクシング・ヘビー級世界王者モハメド・アリの「世紀の一戦」がテレビ中継された、1976年6月26日。「後にも先にも、人生でバスケの練習をずる休みしたのはあの日だけ」と振り返る。
進学した福岡・西南学院高は当時、地区で一番下の3部にいた。コーチは不在。チームをまとめる先輩はおらず、1年の途中から仲間を引っ張るようになった。
練習試合で手応えをつかみ、迎えた11月の新人戦当日、思いがけない事態が起こる。顧問の代理としてベンチに入る予定だった体育教諭が日にちを間違えて会場に来なかった。試合は不戦敗(没収試合)となった。