「あの子、ちょっと変わってるよね」と、陰で言われていた小学生。中学で「本格的な登校拒否」に。救ってくれたコトとは?
トイレから出られない
3年生の夏休みに大阪に転居し、転校した愛梨さん。とうとう学校に行けなくなってしまいました。 「4年生、5年生にもなると、女の子は成長して難しい年頃になります。いじめとまではいかないけれど、『ちょっと変わっているね』と陰で言われるようになり、女の子の輪のなかに入れなくなりました。言った人は陰で言っているつもりでも、本人にも伝わってきます。休み時間も一人でポツンといることが多かったと聞いています。朝、学校に行こうとするとお腹が痛くなって、トイレから出られない状況が続きました。私が無理矢理トイレから引っ張り出して学校に行かせたので、本人も辛かったと思います。そのうち、愛梨は朝起きられなくなってしまいました。」 玲奈さんは、担任にスクールカウンセラーを紹介してもらいましたが、カウンセラーから病院に繋げてくれるとか教育委員会に話が行くことはありませんでした。 「愛梨の下にも子どもが二人いるので、その子達の幼稚園の送迎をしなければならず、かといって愛梨を一人で家に置いておくこともできず、気持ちが張り詰めていきました。夫も出張が多くてほぼワンオペ状態で、思うように愛梨に手をかけてあげることができない辛い日々が続きました。そんな時、コロナ禍だったこともあり、学校からもらった教育センターのチラシに『お子様のことで困り事があったら相談してください。学校に行けない子には他の考え方もある』と書いてありました。私のカウンセリングではありませんが、苦しい胸の内を聞いてもらうことでガス抜きできて助かりました。」
不登校を克服、支えになったのは大好きな吹奏楽
小学校6年生になると、担任の先生が生徒たちに、「愛梨ちゃんは表情が顔に出にくい」「考えないと動けない」など説明して、友達の輪に入れるように誘導してくれました。そのおかげもあり、愛梨さんはなんとか小学校を卒業できました。しかし、愛梨さんは中学1年のゴールデンウィークのあたりから、再び学校に行けなくなってしまいました。 「入学して最初の1、2週間はみんな大人しくしていますが、慣れてくるとだんだん賑やかになってきて、本当の自分をさらけ出すようになります。愛梨は小学生の時に小児科で起立性調節障害と診断されたのですが、うるさいところがダメで、学校に限らず騒音の中にいるとぐったりしてしまいます。ただ、この時は、発達障害には見えないと言われました。」 休みがちな愛梨さんに、担任の先生は、「来られる時だけ来たらいい。登校して苦しくなったら、保健室にいてもいい」と言ってくれました。 「愛梨は吹奏楽部に入っていたのですが、学校に行かないと大好きな部活にも参加できません。何はともあれ授業を受けて、ダメだったら保健室に行くということで本人も納得しました。」 騒音が苦手とは言うものの好きな音は苦にならず、音楽が好きな子同士だと共通の話題が多いため人間関係も苦にならなかったそうです。 「愛梨は、私がピアノを弾くので、幼い頃からピアノが好きでした。私の友人がピアニストなので、よくリサイタルにも行き、音楽に興味を持ったのだと思います。小さい頃バレエを習っていたこともクラシックへの興味を掻き立てたのでしょう。やりたいと思ったことにはすごい集中力を発揮するので、部活は楽しんでいました。逆に、嫌なことに直面するとシャッターを下ろしてしまうので、教室から逃げて行方不明になったこともありました。その時は、違う校舎のトイレに閉じこもっていたところを、先生が愛梨と仲の良い生徒に頼んで連れ出してくれました。」 愛梨さんは、中学1年生の夏休みに二度目のwiscテストを受けました。その結果を受けて、小児科の先生に紹介状を書いてもらって大学病院で診察してもらいました。なかなか予約が取れず、診察してもらえたのは3ヶ月後の11月だったのですが、そこでは発達障害(ADHD、ASD、LD)と診断されました。 「wiscテストを受ける時に、『多分、あなたはADHDだと思うので確認したい。専門の先生の話を聞きたい』と、正直に伝えました。本人も生きづらさを抱えていて辛かったようで、素直に応じてくれました。愛梨の場合、知的障害はないので、風変わりな子だと思われがちです。発達障害と診断されることで、周りの人に、『こういうタイプの子なんだ』と分かってもらえたらいいなと思いました。本人も診断がついて楽になったと言っていました。」