「世界王者なんて無理」「まだプロになれないの?」“ボクシング未経験”からの逆転人生…川嶋勝重はなぜ大橋ジム初の世界王者になれたのか?
「夏は地獄のよう」黎明期の大橋ジムの“リアル”
川嶋は1995年8月、同級生の所属先だった大橋ジムに入門した。当時の大橋ジムは現所在地とはJR線を挟んで反対側の、青木橋というところにあった。現在のきれいで広いジムとは異なり、「水道管が壊れて水漏れしたり、夏は地獄のように暑かったり……。僕は好きだったけどなあ」と川嶋が振り返る昔ながらのジムである。 また、当時のジムにアマチュア出身のエリート選手は1人もいなかった。プロ選手は5人程度。プロ志望の練習生が何人かいた。最初の3カ月はジャブとワンツーだけを繰り返した。手を抜くのが嫌いな性格の川嶋はひたすらトレーニングに励んだ。ただし、プロになりたいという希望はなかなか叶えられなかった。 「地元の友だちから『まだプロになれないの? 』みたいなことを言われて、恥ずかしいので、練習を始めて半年くらいして会長にプロテストを受けたいと言ったら『全然ヘタクソだからダメ』みたいに言われました。さらに3、4カ月がんばってもう一度お願いしたら、嫌そうに『アマチュアの試合で勝ったらプロテストを受けていい』と。それでKO勝ちして、ようやくプロテストを受けることができました」 現役時代、世界チャンピオンにまで登り詰めた大橋会長の目に、千葉から出てきた“素人”の若者はあまりにふがいなく映ったに違いない。しかし、川嶋にはダメ出しをされても食らいついていくガッツと芯の強さがあった。
「もう月謝いいわ」「バイト辞めろ」訪れた転機
周囲の予想に反して、川嶋はリングで結果を出した。全日本新人王こそ獲れなかったものの、10戦を終えた段階で9勝(6KO)1敗という好成績を収める。やがて大橋会長も川嶋に期待をかけるようになった。1999年、大橋会長の横浜高、ヨネクラジムの後輩で3度の世界挑戦経験を持つ元日本、東洋太平洋王者の松本好二がトレーナーとなり、川嶋はジムの看板選手へと成長していった。 「松本さんは世界戦を経験している方なので全然違いましたね。それまでのトレーナーにもずいぶん教わったんですけど、松本さんからは『もっと柔らかく動け』とずっと言われて、柔らかい動きを入れるように工夫しました」 松本の手腕もあり、川嶋は日本ランキング入りを果たし、2001年には元世界王者、ヨックタイ・シスオー(タイ)に勝利、2002年にはジム初の日本王者となった。期待はますます高まった。 「日本タイトルを獲ったあと、確かあいさつ回りの車の中で、会長から『もう月謝いいわ』って言われたんです。うれしかったなあ。あのころ米屋でバイトしていて、米以外はキャベツと目玉焼きしか食べてなかったですから(笑)。初防衛戦に成功したあとは『バイト辞めろ』と言われて、スポンサーがやっているお店を紹介してもらって、週1回出勤して20万円もらえるようになりました。女の子がいるお店で、洗い物して灰皿とおしぼりを持って行く。アゴで使われましたけど、バイトして練習に比べたら天国でした」
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