娘を洗脳するためには、母は不幸でなければならない。親が子供を操るために仕掛ける罠の正体とは?
暴力や言葉で子供を操る親がいる。そして、時には自分のほうが被害者だと主張することで子供を洗脳しようとする。DV被害にも見られる、被害者と加害者の意識においての逆転のメカニズムについて、母娘問題の第一人者、信田さよ子さんの著書『母は不幸しか語らない』から一部を抜粋・再編集して解説する。 ■母について語る、自分について語る 1995年12月のカウンセリングセンター設立当初からずっと実施しているのが、アダルト・チルドレン(AC)のグループカウンセリングである。「現在の自分の生きづらさが親との関係に帰因する」と自認している35歳以上の女性を対象としている。 そのグループで語られたことが、親子関係についてさまざまな考察をする際の私の基礎となっている。金曜の18時30分から2時間の予定で開始されるグループカウンセリングは、夜間ということもあり終了が21時を過ぎることがほとんどである。先週などは終わったら22時30分を過ぎていた。 通常のグループカウンセリングでは、自分のことを語るものだと理解されている。ところがそのグループに参加する女性たちは「自分のこと」を最初ほとんど語れない。自己紹介も含めて「自分」を抽出することが困難なのだ。グループの担当者である私はそのことに最初、正直驚いてしまった。 そしてこう伝えることにしたのである。 「お母さんについて述べてください」「あなたのお母さんがどれほどヘンな人だったかを説明してください」。 こう前置きすることで参加する女性たちは時に雄弁に、時には涙しながら語るのである。 そのグループでは、自分が親(ほとんどが母)からどのような被害を受けてきたかを語ることで体験を整理し、他者と共有することが一つの目的である。肝心なことは繰り返し語ることであり、語るたびにそのフォーマットは微妙に変化していくのである。本人はその変化に気づかない場合もあるが、お茶の作法においても、同じことを繰り返しているように見えて、そこには必ず変化があるのと似ている。 しかし、「私が被害を受けてきた」と「お母さんが◯◯をした」というのは同じに見えて微妙に異なる。前者では「被害を受けた自分」が認識の出発点であるが、なかなか自分を出発点にできないのが参加者の問題点なのだ。そのためにはまず、母が自分に対して行った言動を表現することで、それが自分にとって一種の虐待(加害)行為であったと認め、結果的に自分が被害を受けたことを承認するのだ。順序立ててみよう。 (1) 理不尽で腑に落ちない母の行為を描写する (2)母の行為を評価する(ひどい、無自覚、無神経、残酷など)=母の加害性を認める (3)自分の反応(つらくて苦しい、怖いなどの情緒的反応・緊張で呼吸が速くなるような身体的反応)が当然と思える(被害者性の承認) このようなプロセスを積み重ねることでやっと自分を出発点にした経験を語れるようになるのだ。