「ソーシャルアクションで社会を変える」 元NHKアナウンサー内多勝康さん、アラフィフからの挑戦 「セカンドキャリア発見! 合同説明会」セミナーから(前編)
東京・銀座で7月に開催された「セカンドキャリア発見! 合同説明会」(主催・マイナビミドルシニア、朝日新聞社)で、元NHKアナウンサーの内多勝康さんが「ソーシャルアクションで社会を変える」と題して講演し、50代で医療福祉の現場に飛び込んだ経験や思いについて語りました。講演の内容を抜粋して2回に分けて紹介します。
「クロ現」で伝えた 医療的ケア児と家族の現実
NHKのアナウンサーを2016年3月まで、30年間務めました。「クローズアップ現代」という番組で、メインキャスターが海外出張などに行くときに、代行キャスターを任されることがありました。2013年、代行キャスターを務めたとき、番組のテーマとして「医療的ケア児」を提案し、現場の取材にも行きました。 かつては難病や重い障害があると亡くなっていたお子さんを、医療の進歩で救命できるようになりました。ただ、人工呼吸器や胃ろうなど、様々な医療的ケアが必要なまま退院して自宅に帰ります。退院は、家族にとっては大変喜ばしいでしょうが、24時間のケアの始まりでもある。家族は夜も眠れないし、外出もままならない。苦労しているという話が取材を通して聞こえてきました。 30分と短い時間ですが、番組で情報発信できました。放送人として精いっぱいやったつもりですが、30分の番組を1回やったぐらいでは、社会的課題は何ら解決しません。ただ、アナウンサーは次の日には全然違うネタをやらなきゃいけない。「医療的ケア児についてもっと伝えたい」と思ってもなかなかかなわず、私の問題意識もだんだんしぼんでいきました。
48歳で通信制の専門学校に入学 50歳で「社会福祉士」に
一方、「社会福祉士」という資格をNHK時代にとりました。名古屋に単身赴任をし、時間ができたので、48歳のときに通信制の専門学校に入学したんです。レポートを書いたり、時々学校に通ったりという2年間のカリキュラムを経て、国家試験を受けました。苦難の道のりでしたが、幸せなことに一発で合格。50歳でした。 このとき、私の頭の中に刻み込まれたのが、今日のテーマでもある「ソーシャルアクション」という言葉で、この後の人生に大きな影響を与えました。「誰もが暮らしやすい、活躍できる社会を実現するため、目の前にいる困りごとを抱えた人に対し、公的な支援をするだけではなく、困りごとを生み出している社会構造をそのものへ働きかける」という意味です。 社会福祉士はソーシャルワーカーとも呼ばれる専門職で、支援が必要な人から相談を受け、生活の質(QOL)を上げるために使えるサービスや制度を紹介するのが役割です。ただ、必要なサービスや制度がないこともある。そんなとき社会福祉士はどうすべきか。 「相談に来た方に、『○○さん、サービスも制度もないから残念ながら諦めましょう』と絶対に言ってはいけない。そんなときにソーシャルアクションを起こしなさい。必要なサービスや制度がないなら、自ら世論や社会に働きかけてつくりなさい」と専門学校の先生から教わりました。大変感銘を受けました。 「少しでも社会がよくなってほしい」「人が幸せになってほしい」と思いながら、放送に携わってきましたが、直接的にサービスや制度をつくっていたわけではありません。「ソーシャルアクションを起こすようなことが仕事になれば、生きがいも大きくなる」と思いました。 ちょうどそのころ、「国立成育医療研究センターが、『もみじの家』という医療型の短期入所施設、つまり、医療的ケアが必要な子どもたちがショートステイするための施設をつくろうとしている」という話が私の耳に入ってきました。 国立成育医療研究センターは東京都世田谷区にある子どもの総合病院です。最先端の医療で、子どもの命を日々救っていますが、退院後に医療的ケアが必要な子どもが増えていることに頭を悩ませていました。「家に帰った後の生活も支えるべきじゃないか」と国立成育医療研究センターの上層部が思ったそうです。どんな施設なのか、休日に話を聞きに行きました。