【闘病】夫の「男性不妊」発覚から出産まで 夫婦の絆で挑んだ不妊治療
人工授精、それから体外受精へ。言い争いも多かった治療をどうやって乗り越えたか
編集部: 不妊治療はどのような方法で進めましたか? 橋口さん: 先生に「頑張れば人工授精でもいけるかもしれない」と言われたこともあって、まずは人工授精を始めました。 まず2回連続で行い、その後、私に風疹の抗体がないことがわかったので、「治療を継続する前に、先に注射を打ったほうがいい」ということになり、風疹ワクチンの注射を打ち、2か月間は不妊治療をお休みしました。 その後、もう1回人工授精をしましたが、結局うまくいかず、体外受精を始めることにしました。 編集部: 体外受精で妊娠に至ったのですね。 橋口さん: はい。2回目で妊娠できました。妊娠がわかった時は私も旦那もとても嬉しかったのですが、1回目のときは妊娠検査薬で陽性反応が出たのにダメだったので「あまりぬか喜びしないようにしよう」と話しました。結局、産後に必要なものなどを買い揃えたのは出産直前でした。 編集部: 治療中、辛かったことはなんですか? 橋口さん: 体外受精の治療をしていたとき、情緒不安定になったことです。仕事をしながらちょっとしたことでダメージを受けてしまったり、涙が出そうになったり……。そんな自分が情けないという気持ちもあり、本当に辛かったです。 編集部: ほかに辛かったことはありますか? 橋口さん: 人工授精の治療をしているときには、旦那と何度も意見がぶつかり合って喧嘩になることも多かったのです。振り返ると、あの頃が一番きつかったですね。 もともと私は「子どもが欲しい」という気持ちがかなり強かったのですが、旦那は「子どもは欲しいが、もしできなかったら2人の生活を楽しもう」というスタンス。 喧嘩するたび「これで2人の仲が悪くなるんだったら、妊活を辞めたい」と夫が言い、それに対して私が「なんでそんなことを言うんだ」と怒ってしまうことの繰り返しでした。 編集部: どちらもストレスが溜まっていたんでしょうね。 橋口さん: 確かに旦那も大変だったと思います。医師に言われて仕事中の旦那に「今すぐ精子を持ってきて」とお願いすることもありました。でも当時の私は「自分の方が旦那より頑張っている」という意識が強かったです。 旦那は助成金のことを調べてくれたり、仕事が忙しくストレスを溜め込んでいた私を気分転換に食事に誘ってくれたり、そのほかにも些細なところで色々と気遣ってくれていました。でも、あの時の私は自分のことしか考えることができなかったですね。 編集部: それはどうやって乗り越えたんですか? 橋口さん: 風疹ワクチンを打って2ヶ月、不妊治療をお休みしている間に自然と喧嘩は減りました。もともと私たちはとても仲の良い夫婦だったので、治療のことを一旦忘れて、過ごしたらやっぱり楽しくて。 落ち着いた状態で治療について考えていることや悩んでいることを伝え合うことで、お互いに対する理解を深めることができたような気がします。 編集部: 2ヶ月間の休憩が功を奏したのですね。 橋口さん: そう思います。その後、不妊治療を再開したあとは、前のように「私ばかり」という意識がなくなりましたし、お互いのことを思い合えるようになった感じがします。 編集部: ネガティブな思考を克服できたのですね。 橋口さん: はい。そのほかにも不妊治療を通して、考え方や捉え方が変わったなと思うことがあります。 はじめに医療機関で「顕微授精しか方法はない」と言われたとき、「それしか方法はないんだ」って思ったんです。でも裏を返せば選択肢がない分、迷わなくて良いんだと少し気が楽になったのです。 編集部: 見方を変えれば、受け取り方も変わりますね。 橋口さん: やるべきことが決まって、あとは腹を決めて頑張るだけになりました。必ずしも「選択肢がたくさんあるから良い」というわけじゃないのだなと。結局大事なのは、物事をどう捉えるかであって、不妊治療は私にとって考え方が磨かれる体験だったと思います。