ふるさと納税が200万円→34億円に…「第2の夕張」と呼ばれた金欠の町を元フリーターのヨソ者が復活させるまで
■「真っ暗な景色を俺が変えてやる」 意気揚々と須崎市民となった守時さんだったが、移住早々に「なんか、やばいな」と思った。 「旅行の時には気がつかなかったのですが、いざ大阪から引っ越してくると結構、何もないなと改めて気がついて。ここで定年まで過ごすのはちょっときついなと思いました」 当時の須崎市は収入に対する借金が多く、全国でワースト5に入る財政状況だった。予算は軒並みカットされ「何をやってもこの街はダメだ」と自虐的に語る人も多かった。 当時の須崎市の様子について、守時さんには忘れられない景色がある。移住に向けて家を借りに須崎市を訪れた時、ホテルの窓から眺めた明かりのほとんど灯っていない街並みの風景だ。 「本当、真っ暗でしたね」 窓辺に立って暗い景色を眺めながら、守時さんは「この景色を俺が変えてやろう」と決意した。 ■「勝てるゆるキャラ」を調べ上げ70ページの企画書を作成 入職後、守時さんが配属されたのは企画課。産業振興や地域支援などさまざまな角度からまちづくりを担う課で、新人が配属されるのは異例のことだった。「町外出身の、SNSが得意とかいう変な新人が来た」と噂になっていた守時さんに、市役所側も期待していたのかもしれない。 やる気に満ちた守時さんは得意のSNSを使った情報発信でまちおこしに繋がる方法はないかを考えた。そこで思いついたのが「ゆるキャラ×SNS」だ。 「ゆるキャラを作って、ブログやSNSで町の情報発信をさせたらきっといける……はず!」 根拠はなかったが、できることからやってみようと思った。まずはインターネットや書籍でゆるキャラのことを徹底的に調べた。「くまモン」や「ふなっしー」などの人気キャラを分析し、「目が合わない」「特産品を持ち過ぎない」など、守時さんなりの「勝てるゆるキャラの条件」をまとめた。学生時代から培ってきたSNSの知見も盛り込んで、70ページにも及ぶ「ゆるキャラによる情報発信プロジェクト」の企画書を作成した。