ふるさと納税が200万円→34億円に…「第2の夕張」と呼ばれた金欠の町を元フリーターのヨソ者が復活させるまで
■大学時代に「SNSのバズらせ方」に目覚める 2008年4月、22歳で守時さんは晴れて大学生になった。なんの肩書きもないフリーター生活を送っていた守時さんにとって、「初めて人権をもらえた気分」だった。 遅れてきた「普通の人生」を取り戻すように大学生活を謳歌するなか、守時さんがハマったのが当時流行り始めていたSNSだ。 廃墟を巡って写真を撮るサークル「廃墟部」を友人と立ち上げた守時さんは、メンバー集めにmixiを活用した。mixi内に廃墟部のコミュニティを開設し、キャッチーなテキストを添えてとにかく楽しそうな印象を前面に押し出してみた。するとおもしろいほど参加者が集まり、最終的にサークルは160人近い規模に成長した。 個人で運用していたTwitter(現X)でも、持ち前の分析力を発揮した。リツイートの多い投稿を見比べて「バズるための構文」を地道に研究。実行と修正を繰り返しながら成功の法則を見出していった。 「mixiでもTwitterでも、やり続けるうちにコツみたいなものがわかっていくんです。当時は失うものが何もない大学生だったので、とにかくおもしろいと思うことを試しました」 守時さんが最初にTwitterでバズったのは2011年3月28日のこと。その時のツイートを紹介しよう。 「君たちにいい事を教えてあげよう。ゲーセンのプリクラでエロいのとか、キスしてたりキメ顔だったり色々恥ずかしい事してる人いっぱいいるよね。あれってさ、店員は 履 歴 見 れ る ん だ よ。」 「驚き」や「共感」を織り交ぜたこの投稿は、孫正義氏の「東日本大震災の被災地に100億円を寄付する趣旨の投稿」や、世界的ラッパーのスヌープ・ドック氏の「友人の死を悼む投稿」を抑え、リツイート数世界1位(当時)を叩き出した。 その後も大小多くの「バズりツイート」を量産し、SNS運用のコツを習得していった。 ■友人との旅行ですっかり須崎市の虜に 守時さんが須崎市と出会ったのは大学時代だった。大学3回生の夏休み、友人の地元である須崎市に3泊4日の旅行に出かけた。高知県を訪れること自体初めてだった。 滞在中、地元の特産品である新子(ソウダガツオの稚魚)の祭り「新子まつり」が開催されていた。会場で守時さんが見たのは、酔っ払った地元の人たちが、まるで大学生のようなノリではしゃいでいる姿だった。 「会場で開かれていたカラオケ大会で、酔っ払ったおばあちゃんがステージに乱入して警備員に退場させられていたんです。そんな様子を見て、みんな『いいぞー』なんて声を上げたり、拍手したり、『なんて楽しいところなんだここは!』ってすごく衝撃でしたね」 ここでなら社会人になっても楽しく暮らせると思った守時さんは、須崎市に移住する決心をその場でしてしまう。もともと卒業後は「証券会社のような実力主義の世界で働きたい」と漠然と考えていたがあっさりと翻意し、須崎市の市役所職員になることを決めた。 「若かったからとしか言えないんですけど、旅行が終わるまでに心はもう決まっていました」 半年間の猛勉強の末に公務員試験に合格。その後は6年分の議会議事録を読み込んで須崎市での面接に臨んだ。まちへの熱意や得意のSNSについて語り、「いつ災害が起きても駆けつけられるように市役所の近くに家を借ります」と締め括った面接の結果は合格。2012年4月、守時さんは26歳で須崎市の市役所職員になった。