89歳と82歳の多良姉妹「〈団地一人暮らしの日常〉動画で大人気に。人生振り返れば、家事も育児も介護も私の《自己表現》だった」
団地の暮らしを紹介するユーチューブが人気の多良美智子さんと、妹の多良久美子さんは、近況を伝えあう仲。戦争や家族との別れなどさまざまな苦境を乗り越えてきたが、それぞれ自分らしく80代の時間を充実させている(構成=上田恵子 撮影=林ひろし) 【写真】久美子さんお手製の旬の果物や野菜のジャム * * * * * * * ◆8人きょうだい、戦中戦後も支えあう 美智子 私たちはちょいちょいLINE電話でおしゃべりしているから、久しぶりという感じはしないわね。私があなたの住む北九州に行ったり、あなたが私の住む神奈川県に来たり。去年も、元気なうちにと一緒に旅行にも行ったし。 久美子 いま私は82歳。みっこ姉ちゃんは89歳で、一人暮らしの日常をユーチューブで配信して人気だし、本も2冊出して。予想外の人生でしょう? 美智子 本当に。動画に皆さんからコメントやお手紙もたくさんいただいて。ありがたいことです。でも私はずっと「自分のように平凡な人間より、いろいろな苦労を乗り越えてきた久美子の人生のほうが本になる」と思っていたから、出版社の人にそう言ったの。 久美子 その結果、まさか私も本を出すことになるなんて思いもしなかった。仕事を辞めて、田舎暮らしをしている主婦ですから。 うちの息子は4歳のときに、麻疹(はしか)による脳炎で最重度の知的障がい者になって、いま56歳。あの子のことを触れずに本は書けないなと思って、飾らずにありのままでいいなら、と引き受けました。そうしたら思いがけず、たくさんの人に読んでいただいて……。 美智子 あなたは本当に、今日までよくやってきたわよ。妹ながら尊敬しています。苦労の連続なのに、笑顔を失わない。
久美子 60歳の頃かな、私も夫もずっと息子を支えてきたつもりでいたけど、じつは支えられていたことに気づいたの。「この子がいるから元気でいられるんだ」って。生きる目標とでも言うのかしら。大変なことも多かったけど、いまはそんなふうに考えているんよ。 美智子 うんうん。 久美子 でもそう言えるのは、きょうだいや友達など支えてくれる人が多かったおかげ。世話が大変で眠れなかったり、肉体的にキツいこともあったけど、みんなが精神的に支えてくれたので頑張れた。特にきょうだいね。普段はつかず離れずだけど、いざというときに力になってくれて心強かった。 美智子 うちは8人きょうだいで、私は上から7番目。久美子は末っ子で、私とは8歳違い。戦死した長兄以外は、女ばかり。あなたと、一番上の姉とは19歳違い。 久美子 人生でいくつか大変なことのひとつとして、戦争もあった。あれは、私が2歳、みっこ姉ちゃんが10歳のとき。 美智子 長崎に原爆が落ちた日のことは忘れられない。私は小学5年で、山のひとつ向こうに疎開していたので難を逃れた。市内にいた姉たちは命からがら逃げてきて、なんとか家族みんな無事で会うことができたの。ただ、一番上の兄は召集され戦死しました。 久美子 私は幼かったから記憶はないけど、戦中戦後は食べ物もなく一家は大変だったみたいね。 美智子 そういう経験もあるから、食べ物を粗末にはできないし、ものを大事にして、あるものでなんとかしようと思うのよ。 久美子 母は終戦の翌年にがんで亡くなった。姉たちが母親代わりで、私が子どもの頃は友達に、「うちには6人の母親がおる」って言ってた。(笑) 美智子 もう施設に入っているけど、98歳と96歳の姉が健在で、きっと長生きの家系なのね。戦争で兄を失ったし、日本の復興は大変なものでしたが、その後の平和のおかげで、長生きさせてもらっていると思う。
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