89歳と82歳の多良姉妹「〈団地一人暮らしの日常〉動画で大人気に。人生振り返れば、家事も育児も介護も私の《自己表現》だった」
◆姉は一人が好き、妹は大家族が好き 久美子 母が亡くなったあとは、父が娘7人を育ててくれた。青果の卸売業から戦後は貿易会社を興して。 美智子 厳しくも優しい父は親分肌で、もてなすのが好きだった。あなたが高校生のとき、父が知人を助けるために借金の保証人になるというので、姉たちと止めたんだけど、説得できなくて。結局父の会社が倒産してしまったの。 久美子 私は自宅に差し押さえの赤札が貼られているのを見て、ショックだった。その後、姉たちが就職や結婚で次々と家を出ていって。私が19歳のとき、父が仕事中の交通事故で亡くなり、最後は私一人になっちゃった。その後24歳で結婚して家庭を持ったときは、ホッとしたんです。 美智子 私は子どもの頃から一人でいるのが好きだった。おしゃべりも上手じゃないし、一人で思い切った行動をとりがちだったわ。高校3年のときに「この家から飛び出したい。自活したい!」という思いがフツフツと湧いてきて、思い切って大阪の会社にタイピストとして就職。一人の生活を始めたときは嬉しかったなあ。 久美子 大家族が好きな私とは真逆ね(笑)。息子が障がい児になった50年前は、世間の理解も支援もまだ少ない頃で、私はかなり心細い思いをしていた。そんなとき夫の両親が「私たちも手伝うよ」と生活拠点を移し、この一軒家に一緒に住んでくれて、本当に助かった。 いま、近所には家族同然の友達もいるし、そういう意味では、私が望んでいた通りの《大家族》が続いていると言えるかも。ふだん息子は施設(生活介護事業所)で暮らしていて、土日に帰ってくるので、平日は86歳の夫との二人暮らし。
美智子 私は27歳で結婚しましたが、奥さんを亡くして10歳の娘を連れた夫との結婚は親族に猛反対された。でも、姉の一人が応援してくれて結婚できたの。その後、夫の勤務先が倒産したことで、住み慣れた九州から神奈川県へ。以来57年間、50平方メートル、3DKの団地住まいです。 久美子 みっこ姉ちゃんの子どもたちは、結婚して巣立って。 美智子 そう。娘と長男、次男を送り出し、9年前には大動脈瘤で倒れた夫を自宅で看取って。小さな団地に5人だったのが、いまは私だけ。家族が減って80代になって、自分だけの居場所を持てた。 久美子 振り返ると人生いろいろあった。だけど、二人ともまったくグチを言わないね。 美智子 本当にね。私はあきらめと切り替えが早いから(笑)。家族のなかではいつも従順に「そうね、そうね」と言っていたけど、ここぞというときは自分を出してきた。「自分はこうありたい、こんなふうに年をとりたい」と思った道を歩いてきたつもり。 久美子 私は美術学校に行きたかったけれど、父の会社の倒産で家計が大変だからあきらめました。でも結婚後、家事にしても子どもの世話や介護にしても、振り返るとすべては私の《自己表現》だったんだと思う。家庭は自己表現の場だと思ってきたから、不満なんか感じなかったな。 美智子 《自己表現》というのがいいじゃない。本当にそうだわ。
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