野生動物にとっては苦痛でしかない…「アニマルカフェ」「ふれあい動物園」の現実
日本人は動物好きが多いのだけれど……
日本で当たり前に使われる「動物愛護」という言葉、海外では使われてないことをご存じだろうか。海外では、動物に対して「動物福祉(アニマルウェルフェア)」という言葉を用いる。動物を愛し護る、という動物愛護という言葉が悪いわけではない。日本独自の素晴らしい考え方でもあるが、あくまでも主体は人間の感情で、人間側が愛し護るという感情論である。 ところが、「動物福祉」の主体は動物であり、科学である。ただ生きていればいい、そこに動物がいればいい、という状態ではなく、その動物本来の習性や生態、行動などが、きちんと発揮できる状態で飼養、管理をしましょう、ということがベースになっている。この「動物福祉」への意識が低いことが、アニマルカフェやふれあい施設など、野生動物を使ったアニマルビジネスが広まるひとつの要因だと田中さんは指摘する。 「日本人は動物好きが多いと思うんです。動物を愛でる、という気持ちはとても大切だと思います。でも、ふれあい愛でる動物は犬や猫、あるいは家畜化された動物だけでいいのではないかと思うのです。犬や猫は、長い歴史の中で人とともに生きることに馴化していきました。正しくふれ合ってあげれば、犬も猫もとても喜んでくれますし、ともに幸せな時間を作ることができます。 ですが、カワウソやナマケモノがそれを求めているか、というとそうではありません。それがごっちゃになっている方が多いのだと思います。海外で普及されている動物福祉では、人間の視点ではなく、動物にとってこの環境は、この状況はどうだろう、という動物視点で考えていきます」
子どもから教わった動物福祉の教育の成果
なぜ日本では、動物福祉的な視点がなかなか育まれないのだろうか? 田中さんは、親や学校での教育に違いがある、という。 「私は約20年間、アメリカで生活し、2人の子どもを育ててきました。野生動物に対する意識の違いは、子どもの教育現場の違いが大きいと感じています。 我が家の出来事ですが、こんなエピソードがありました。今から20年以上前の2002年に2歳の子どもを連れてサンディエゴ動物園に行きました。当時、サンディエゴ動物園ではシャチやイルカのショーを行っていて、そのダイナミックさに子どもも私も“さすがアメリカ、スケールが違う!”と感動しました。 その後、アメリカでは、徐々に水族館でシャチを飼育することが問題視されるようになりました。シャチは北極圏や寒い地域に棲む動物です。ですが、サンディエゴは地中海性気候のあったかい地域にあります。環境の違いからなのか、シャチのヒレがだんだん曲がってきてしまい、シャチの飼育が動物福祉に即しているのかどうか、と議論されるようになりました。結局、本来の生息地ではないところで無理やり飼育するのは動物福祉に反しているということになり、サンディエゴ動物園ではシャチを飼育することをやめたのです。 初めてサンディエゴ動物園でシャチのショーを見てから数年後、子どもが小学生になった頃、家族で再びサンディエゴ動物園に行こう、という話になりました。その時に私が長女に“でもあそこ、もうシャチのショーがなくなっちゃったんだね。寂しいね”と言ったら長女にこう言われたのです。“ママ、なんでそんなの見たいの?”と。“だって、すごい面白かったじゃない”というと、長女は“いや、あんなの明らかなアニマル・アビューズ(animal abuse=動物虐待)だから全然見たくない”ときっぱり言ったのです。 私はハッと気が付きました。長女の小学校には、動物福祉を始め、野生動物とは何か、野生動物を守るために人は何をするべきか、ということを考える授業があり、密輸や生物多様性の問題なども取り上げ伝えていたのです。“この子は子どもの時から野生動物の問題について触れていたからこういう考え方になったんだな”と思いました。日本では野生動物の問題に触れる授業や話題もありませんでした。教育という現場で子どもの頃から情報提供をしていくことがどれだけ大事なのか、痛感させられた出来事だったのです」