山手線で2番目に新しい西日暮里駅は「鉄道のワンダーランド」
「迷惑乗入れ」と不評を買う
地下鉄千代田線は、1969(昭和44)年12月20日に北千住-大手町間で運転を始めた。地下鉄の西日暮里駅開業も同日である。その後、大手町から霞ヶ関まで延伸され、1971(昭和46)年4月20日、綾瀬-北千住間がつながって、常磐緩行線が乗り入れるようになった。このとき山手線の西日暮里駅も開業したのだ。つまり、“先に私鉄ありき”で誕生した珍しい例である。 相互直通運転の滑り出しはさんざんだった。まず初日に営団車が故障、2日目は霧でダイヤが乱れる不運に見舞われたのにくわえ、国鉄の定期券から地下鉄経由へ切り替えた人が少なく、千代田線直通電車が比較的空いているのに対し、車両を他線にまわして減車したり本数を間引いた上野ゆき快速電車の混雑が、より激しくなったのだ。 しかも、このころ盛んだった春闘のストライキが営団にも及び、同年5月には2回にわたり24時間ストが行なわれた。すると、常磐線の上り各駅停車は営団線となる綾瀬から先に進めない。このため快速が通過する金町・亀有・綾瀬の各駅から都心へ向かう人は、松戸まで逆行して快速電車に乗り換えねばならず、松戸駅が大混乱に陥ったのである。
常磐線と営団地下鉄の複雑な関係
本来なら、もともと常磐線であった綾瀬-北千住間の線増を国鉄が手がければ、営団との境堺は北千住となり、逆行の必要なく同駅で快速に乗り換えられたのだ。しかし、営団は綾瀬駅の北側に車両基地(綾瀬検車区)をつくる必要から、この区間を自社線として建設した。国鉄としても、線増経費を抑えられるのでありがたかったのだろう。 さらに根源的な問題として、綾瀬から千代田線経由にすると、国鉄の運賃に営団の運賃が上乗せされるため、費用がかさむという恨みがあった。従前は、上り常磐線を日暮里なり上野で山手線に乗り換えた場合は、国鉄線の通し運賃で済んだ。しかし相互直通運転開始以後、地下鉄線へ直通する緩行電車を西日暮里駅で山手線に乗り換えると、綾瀬-西日暮里間は地下鉄線なので、営団地下鉄の運賃が加算され割高になってしまうのだ。 本件は「迷惑乗入れ」などと揶揄(やゆ)され、不便を被り、余計な運賃を払わされたとする一部地域住民の訴訟にまで発展したが、住民の訴えを棄却(ききゃく)する判決が地裁で出されている。最近では、相互乗入れや地下鉄路線網が充実した結果、目的地は同じでも乗り方次第で割高になるケースが散見され、いわば常態化したことから問題視する声はほとんど聞かれなくなった。